とはいえ、稀勢の里が『カエルの楽園』を父親に渡されていたのは事実だ。しかも「自分の置かれた環境をよく考えてほしい」というアドバイス付きで。その意味では、改憲運動やヘイト思想の広告塔にされてしまう可能性は大いにあるだろう。
いや、その動きはもう始まっているのかもしれない。ネトウヨのみなさんはこのことが話題になるや、さっそく〈稀勢の里関は『カエルの楽園』を読まれて支那国と本気で戦う勇気を与えられたと思います。その結果稀勢の里関のパワーアップに繋がったのでは⁉〉〈『カエルの楽園』を読んだ稀勢の里は、対戦相手をみんなデイブレイク(引用者註:つまり朝日新聞のこと)だと思って突進したんだと思う〉などと、無茶苦茶な解釈をして、稀勢の里を自分たちのヘイト思想、歴史修正主義の体現者にまつりあげはじめた。
さらに象徴的なのが、くだんのサンスポだ。同紙記事は稀勢の里の父親から「『カエルの楽園』を持たせた」という証言を得たあとに、小躍りしてこんな珍解説をしている。
〈とくに「カエル-」は侵略によって国を失ったアマガエルが世界を放浪しながら「カエルを信じろ、カエルと争うな、争う力を持つな」と「三戒」の堅守にこだわるツチガエルの言動に疑問を抱く様子も描かれている。それは、モンゴル勢を中心とする外国出身力士が席巻する勢力図のなかで、あらがわなければならない国内出身力士の立場に置き換えることもできる〉
前述したように、『カエルの楽園』で、ツチガエルを侵略するウシガエルはあらゆるものを飲み込む気持ちの悪い殺戮者として描かれている。もし相撲界の状況をこのプロパガンダ小説に置き換えていたら、それは外国人力士に対するヘイトそのものだと思うのだが、しかし、これがいまの稀勢の里と相撲界をめぐる日本社会の視線なのだろう。
日本の相撲界にあって、外国人力士は品格のない悪役であり、それに対抗できるたったひとりの日本出身力士として稀勢の里が登場した。そういうナショナリズムの物語に大衆は熱狂している。そして、横綱審議委員会もその熱狂に引っ張られ、大甘な裁定で、今回、稀勢の里の横綱昇進を決めた。
もちろん、このナショナリズムの物語が相撲やスポーツという世界のなかにとどまっているなら、別に目くじらをたてるつもりはない。それは力道山の時代からそういうものだからだ。しかし、この『カエルの楽園』をめぐるニュースを見る限り、どうもそれでは済みそうにない。
純朴な人柄だというこの新横綱がグロテスクなヘイト極右思想に騙され、改憲運動の広告塔に仕立てられないことを祈りたいところだが……。
(宮島みつや)
最終更新:2017.11.15 06:28