では、なぜ、このようなことが起こったのか?
当サイトでは以前から「体調不良(喉頭がん)による総合プロデューサー卒業」という公式の発表は表向きのもので、実は、つんく♂はアップフロントグループ会長の山崎直樹氏により「切られた」のではないかという可能性を指摘し続けてきた。
それを証明するかのように、一昨年前に出版された闘病エッセイ『だから、生きる。』(新潮社)には、こんな告白が綴られていた。
〈では、「つんく♂は癌になって考え方が変わったから、ハロー!プロジェクトのプロデュースをやめたのか」と聞かれれば、答えはNOだ。
実は、2013年の秋くらいからシャ乱Qの育ての親でもあり、ハロー!プロジェクトのメンバーたちが所属するアップフロントグループの会長から、そろそろハロー!プロジェクトの総合プロデューサーを降りたらどうか、と提案されていたのがきっかけである。
僕としてはまだまだ続ける気も、展望も大アリだったし、モーニング娘。も方向転換したばかりだったので、もっと形にしたかったけど、会長曰く「ここらへんでちょっと休養を取ったほうがいいだろう。喉の調子も良くなさそうだし」と。
その時は驚いて、僕なりの今後の展望や今後のハロプロ論を伝えたし、いろいろ話し合ったが、結果ハロー!プロジェクトの総合プロデューサーを退き、作詞・作曲に関しては一作家として参加し、ことモーニング娘。に関してはサウンドプロデューサーとしては携わることとなった〉
この「13年の秋」という時期は、確かに喉の不調をファンの間でも噂されてはいたものの、自身はシャ乱Q25周年記念ライブツアーを成功させ、プロデュースワークでもモーニング娘。は両A面シングル「わがまま 気のまま 愛のジョーク/愛の軍団」でEDM路線を確立、℃-uteは初の日本武道館公演を成功させるなど、「ハロプロ復権」の狼煙が上がっている時期であった。
つんく♂のがんが発見されるのは14年2月のことで、この時点で体調不良を理由に総合プロデューサー卒業を進言するというのは、話として違和感が残る。実際、彼は前掲書のなかでも〈僕から総合プロデューサーの役目を投げ出したわけでも、曲が書けないほど弱っているわけでも、ハロー!プロジェクトが嫌になったわけでもないことはわかってもらいたい。今でもハロプロを心から愛してる〉と綴っている。