そして、もっとも恐ろしいのは、この共謀罪が成立すれば、テロとは何の関係もない「市民運動」をもターゲットにできる、ということだ。
たとえば、先月12月に発売された『「共謀罪」なんていらない?!』(山下幸夫・編/合同出版)のなかで、監視社会にかんする著作で知られるジャーナリストの斎藤貴男氏は、9・11同時多発テロ後にアメリカにおいて制定された「愛国者法」によって〈当局に反政府的と決めつけられた人間がテロリストとして扱われ、特にイスラム系住民が片っ端から逮捕されていった〉現実を述べた上で、こう綴っている。
〈共謀罪が導入されれば、日本でもさまざまな市民運動──反戦運動や労働運動、環境保護運動、消費者運動など、体制や枠組みに抵抗するような動きをする人間には、いつでも共謀罪が適用されて逮捕されるおそれが高まる。適用されるかされないかの線引きは当局側に委ねられるのだから、それは自然の成り行きだ〉
〈筆者のようなジャーナリストが、「政治家や官僚のスキャンダルを追う取材チームを組んだ場合」「労働者の人権を無視する経営者を糾弾しようと、労働組合が決起した場合」、共謀罪が発動され得る契機は多様だろう〉
「そんなまさか」と思う人もいるかもしれないが、これは十分に考えられる話だ。菅官房長官は6日の記者会見で「一般の方々が対象になることはあり得ない」などと言ったが、安保法制に反対する国会前デモなどではその「一般」の人々を警察が平気で写真や映像をカメラで撮り続けていた。さらに、特定秘密保護法案に反対するデモが起こった際には、当時の自民党幹事長である石破茂は〈単なる絶叫戦術は、テロ行為とその本質においてあまり変わらない〉とブログに記している。警察がデモ参加者の一般市民をこじつけによって共謀罪で逮捕する──そんなことが起こっても、なんら不思議ではないのだ。なにせ共謀罪は、警察当局の判断によっていくらでも適用できてしまうのだから。
共謀罪とは何を取り締まるものなのか。それは、斎藤氏の言葉が言い表している。
〈共謀罪とは要するに、「権力に隷従したがらない者を徹底して排除する」、あるいは「排除される危険を見せつけて萎縮させる」仕組みなのである〉
共謀罪が適用されれば反対運動は萎縮し、しかも社会には「デモはテロのようなもの」という認識が広がり、さらには「政治的な問題には口を出さないほうがいい」という空気がいま以上に醸成される。それはいつしか「政権に楯突くことはあってはならない」というところまで行き着くだろう。思想信条を弾圧によって取り締まり、戦時体制化をより進める……共謀罪が「現代の治安維持法」と呼ばれる所以だ。