こうした出来事の描き方によっては、オリンピックを前にそれこそ安倍首相が大喜びしそうなナショナリズムを鼓舞するドラマになりかねないだろう。
しかし、一方では、クドカンなら絶対にそうはならない、という見方もある。宮藤官九郎は、オリンピックを描いたからといって、「国家の威信をかけてオリンピックに向き合った男たち」というような浅薄でわかりやすい物語をつくる脚本家ではないからだ。
たとえば、あの『あまちゃん』だって、アイドルを描いていたけれど、いわゆるアイドルドラマでなかった。主人公・天野アキは、日本の芸能界の中心たる東京ではアイドルとして成功しない(=東京で全国区で売れるというかたちの成功とは別のものを選ぶ)で物語は終わる。むしろ、昨今のアイドルブームに対する批評であり、アイドルを解体・脱構築して、既存のアイドルを乗り越えたオルタナティブなあり方を示していた。
そして、『あまちゃん』は東日本大震災についても、定番の「絆」のような物語とはまったく別の、新しい描き方で、視聴者に勇気を与えた。
そんなクドカンがオリンピックを題材にするのだから、むしろ、「オリンピック=ナショナリズム」という構造を解体してくれるのではないか、という期待もある。
実際、今回の制作発表でNHKは「オリンピックをめぐるスポーツマンや関係者の奮闘ぶりなどが、東京の歴史とあわせて描かれる予定」とドラマを紹介していたが、当のクドカンは「戦争と政治と景気に振り回された人々の群像劇」と語っていた。
クドカンは明らかに、戦争の時代を描くということに意識的だ。しかも、クドカンは今年7月に発売されたみうらじゅんとの対談本『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』(集英社)のなかでも、戦争をどうやって伝えるべきかを考えていることを明かし、こう語っていた。
「憲法を変えるとか、戦争できる国になるとかならないとか、ちょっと勘弁してほしいなって思います」
「僕が“戦争”っていう言葉を聞いたときに一番最初に思い浮かべるのって、やっぱり子供のことなんですよね」
「それにもし万が一、戦争が将来起こったときに、僕たちはもう老人になってるから戦場に行くことはないと思いますけど、子供たちの世代が戦わなきゃいけなくなる可能性があるわけじゃないですか」
「いずれ学校の授業で、日本が昔、戦争で負けたっていうのを知ることになるわけじゃないですか。にもかかわらず、今になって再び戦争をやりかねない状況に持っていこうとしてる大人がいるっていうその現実を、戦争を体験した世代がどんどん減っていくなかで、子供たちにどう伝えたらいいんだろうなって」