SWCも抗議文書で〈仮に欅坂46に被害者を傷つける意図はなかったとしても、あのパフォーマンスは、ナチスによる犠牲者・被害者の記憶を軽んじるものであり、ドイツやその他の国々でネオナチ感情が高まっているなか、若者たちに間違ったメッセージを発信していることになる〉と指摘していたように、たとえナチスを礼賛したわけではなかったとしても、“ナチス的なもの”が「かっこいい」などと価値のあるものだと捉えられること自体を危惧しているのだ。
そもそも、ナチズムの組織原理においては“大がかりな儀式”が重要な役割を担ったが、そのなかでも「制服」には大きな意味があった。ナチスの思想、文化などにおける戦略を読み解いた『第三帝国の社会史』(リヒアルト・グルンベルガー著、池内光久訳/彩流社)には、こう書かれている。
〈制服は第三帝国の目に見える背景幕であった。どこへ行っても制服があり、しかもいろいろな種類の制服があるということは帝国に存在する権力の巨大さを実感させた〉
また、『暴力と芸術』(勅使河原純/フィルムアート社)では、ナチズムに協力した映画監督のレニ・リーフェンシュタールと建築家のアルベルト・シュペーアの果たした役割をこのように言及する。
〈一糸乱れぬ群衆の生みだす壮大なパターンの美は、おそらく全体主義の美学のなかでも、もっとも洗練された大規模なものであろう。今日われわれがナチスという言葉で連想するイメージの大半は、こうしてシュペーアによって演出され、リーフェンシュタールの手で映像化されたものなのだ〉
ナチスの制服、軍服のデザインやナチス式敬礼などのかっこよさとは、つまりファシズムの美学であり、ナチスが大衆を煽動するために意図的かつ精巧につくりあげたものなのである。「かっこいいものを真似するのは当然」なのではなく、かっこいいからこそ警戒しなくてはいけないのだ。
さらに、高須医院長をはじめとして、原爆投下などの“戦争被害者としての日本”をもち出して問題をすり替える者たちに至っては、歴史と向き合う姿勢が欠如しているとしか思えない。もちろん、日本は戦時中、沖縄での地上戦、本土への空襲、広島と長崎への原爆投下によって多くの人びとの命が奪われた。しかし、日本は自ら戦争を引き起こした当事者であり、他国で多くの人びとの命を奪った“戦争加害国”である。これは世界で共有されている事実だが、日本ではこの「加害国」という認識があまりに薄い。