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ディズニーが「東京大空襲」をけしかけていた! 戦後は原発の旗振り役に…日本に災厄もたらすディズニーの黒い顔

 ようするに、ディズニーはこうした一般市民も含む大量殺戮行為を正当化し、推進するためのプロパガンダ映画をつくっていたのだ。

 もちろん、戦時中は、映画でも音楽でも小説でも漫画でも演劇でも、大衆から人気を集めているクリエイターに国が戦意高揚のための作品を無理やりつくらせることは珍しいことではなく、戦時中は日本でもしきりにつくられていた。

 だが、映画『空軍力による勝利』はそういった過程を経て製作された作品ではない。ウォルト・ディズニー自身が、長距離爆撃機による敵国本土への戦略爆撃の必要性を伝えたいと率先して製作した映画なのだ。この映画にかける予算やスタッフの人員を見ると、その力の入れ具合がよく分かる。町山氏は『最も危険なアメリカ映画』のなかでこのように書いている。

〈ディズニーは、まず軍部に資金援助を打診した。しかし、「陸海軍は時代遅れだ」とする本の映画化に軍が協力するはずがない。そこで、ディズニーは自分の懐から製作費七十八万八千ドルを出した。『ダンボ』(41年)が九十五万ドルだから、これは立派な予算だ。スタッフには『白雪姫』(37年)や『ファンタジア』(40年)、『ダンボ』、『バンビ』(42年)のアニメーターを投入した〉

 ディズニーはこのフィルムをチャーチル首相やルーズベルト大統領にも見せるように画策し、特にチャーチル首相はこの映画に感銘を受けていたと伝えられている。

 この映画が封切られた時点で連合国側はドイツや日本に対して小規模な爆撃を行い始めてはいたが、それが本格化し、30万人以上という大量の死者を出した無差別爆撃にエスカレートしていった背景に、ディズニーの存在があったことはまぎれもない事実だろう。

 しかも、ディズニーが日本に大きな災厄を与えたのは、戦争中だけではなかった。東日本壊滅寸前の事態を引き起こした原子力発電所を日本が導入することになった経緯にも、ディズニーは深く関わっている。

 1950年代、米国政府はアメリカ製の原発を同盟国に導入させようと、さまざまなルート、方法を使って各国に売り込みを行っていた。その先兵となっていたのが、ウォルト・ディズニーとディズニー本社だった。ディズニーはプロパガンダのために、実写とアニメを組み合わせた『わが友原子力(原題:Our Friend the Atom)』なる映画を製作しているが、この映画は、アラジンの魔法のランプのアニメーションなどを用いつつ、使い道さえ誤らなければ原子力は、人類にとても大きな力をもたらしてくれる「友」であるとメッセージを送るもので、ウォルト本人もホスト役として出演していた。

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