小説を書いているなかでどんなに煮詰まってしまっても、始業時間が来たら否応なくサラリーマンとして働かなくてはならない。そのことが頭をリフレッシュさせ、作品を書くうえでは逆にプラスになっていたのだ。
サラリーマン兼業であったことで良かった点はもうひとつある。朝井はこう語る。
「僕は会社員時代、自分が“何者でもない”歯車のひとつであることが逆に救いでした。作家というだけで万能だと思われて、専門でも何でもない日中関係について語ってくれと新聞から依頼されたりするのがかなり怖かったんです。だから、会社ではいくつもの部署に分かれた枝葉の末端にいて、万能感を削ぎ落とされた存在であることに、すごくホッとしていました」(前掲「SPA!」)
作家のみならず、ミュージシャンでも映画監督でも画家でも漫画家でも、クリエイターとして仕事をしていくということは、作品から人間性そのものまで計られることを避けては通れないわけで、なにかあったときに自分が籠ることのできる殻を準備しておくその行為は逃げではないのかと思うが、今年8月に受けたインタビューではこのようにも語っている。
「(兼業時代は)時間がないのが辛かっただけで、精神的にはむしろ安定していて楽しかった。会社にいると、年齢や性別といった〈個人〉が多少うやむやになって、きちんと仕事をしていれば〈その部署の人〉という人間で生きていられる。作家は自分自身の、個人的な中身を重視されるから、それを24時間続けているのと、会社員としての時間が1日8時間あるのとでは後者のほうが楽なんです」(ウェブサイト「ほんのひきだし」より)
ただ、実際に会社を辞めたということは、彼自身、楽な方に逃げていては作家としてやり続けることはできないと、どこか自覚していたのであろう。
インタビューでは弱気な発言を残している一方、現在の朝井は、『何者』映画化に際して「an・an」(マガジンハウス)16年10月26日号に寄稿したエッセイに、少しばかりひねくれてはいるが、こんな野心的かつ力強い言葉を寄せている。
「今は、書店に行けばカラフルなポップやパネルに彩られた他人のヒット作への嫉妬が止まらなくなり、たとえ仲がいい作家だったとしても何かの賞を受賞したと聞けばしばらく原稿に身が入らなくなる日々を送っている。私は今、「出版業界」というフィールドで、「現代の文壇において欠かせない小説家」だと思われていたくてたまらない」
朝井リョウには「兼業作家」なんてことをいわずに、ぜひ、作家一本で勝負してもらいたい。
(新田 樹)
最終更新:2017.11.12 02:25