それだけではない。新基地建設に賛成する市議、2紙を激しく批判する「愛国者」や保守運動の関係者、かつて存在した保守系紙──地元財界の支援で創刊し、第三の日刊紙を目指したが、数年で廃刊に追い込まれた──の元記者、現在では沖縄で唯一の保守系紙といわれる「八重山日報」の編集長ら正反対の立場の者も訪ね、丹念に話を聞いている。そのうえで安田は書く。
〈異論は大事だ。異論から学ぶことだってある。(略)だが──国家という枠組みのなかで翻弄されてきた沖縄の歴史を考えるとき、その異論が国家に寄り添うことで、沖縄全体の歴史を捻じ曲げることがあれば、それは国家にとって都合の良いだけの存在にはなるまいか〉
本書ではまた全国紙や保守系紙とはっきり異なるスタンスを示した記憶に新しい報道として、琉球新報の“オフレコ破り”の内幕が描かれている。
2011年11月、当時の沖縄防衛局長が担当記者たちとの懇談会で、こんな暴言を吐いた。
「犯す前に、これから犯しますよと言いますか」
辺野古新基地工事のゴーサインとなる環境アセスの評価書をめぐって「年内提出の明言を避けるのはなぜか」との記者の質問に答えたのだったが、この発言はオフレコとされていた。だが、沖縄を見下し、県民の尊厳を踏みにじるばかりか、性暴力を肯定するかのような下劣な発言に琉球新報の基地担当記者は怒りを抑えきれず、編集局次長に相談する。
「僕自身はその時点で、記事にするつもりでいました。その覚悟はできていた。いや、絶対に書かなければならないと思ったんです」
記者の報告を受けた同紙の編集幹部らは短い協議の後、「どんな嫌がらせがあってもいい。読者の知る権利に応えよう」と結論を出したのだという。記事は大きな反響を呼び、その日のうちに防衛局長の更迭が決まった。全国紙は後追いせざるを得なかったが、なかには「腑に落ちない」「疑問が残る」といった表現で、オフレコ破りを批判するところもあった。
安田は、この章を次のように結んでいる。
〈問題はオフレコ破りの是非でもなければ、スクープの軽重でもない。政府の立場を代表する官僚が、国と沖縄の関係を強姦のように例えたことである。(略)主権も人権も、犯され、侵されているのが、沖縄という存在なのだ〉