前述のように、南スーダンは内戦によって治安が悪化しており、これまで市民を中心に5万人ともそれ以上とも言われるおびただしい数の死者を出している。11年にスーダンから独立した南スーダンに対し、日本は12年よりPKO参加による自衛隊の派遣を始め、主にインフラ整備を中心に活動している。だが、13年には政府側と反政府側の内戦に突入し、14年に一度は停戦合意が成立したものの、今年7月には首都ジェバで大規模な戦闘が勃発。この戦闘だけで兵士や市民300人以上が死亡したとみられている。
ところが、日本政府はこうした事実を徹底して隠してきた。今年3月、陸上自衛隊福知山駐屯地の史料館が、南スーダンの日本隊宿営地で13年12月16日に着弾した小銃弾を展示していることがわかった。防衛省は「着弾したことは確認していない」としたが、こうしたかたちで問題が発覚するまで、宿営地で銃声音を複数の隊員が聞いていたことなどは伏せられたままだった。
そして、今年7月10〜11日にかけては、あわや陸自が戦闘に巻き込まれかねない事態も発生した。2日間にわたって、陸上自衛隊の宿営地付近にある建設中のビルに立てこもった反政府軍と政府軍との間で銃撃戦が断続的に続いたのだ。少なくとも政府軍に2名の死者が出たと報じられているが、これは陸自宿営地からたった100メートルという目と鼻の先での戦闘だった。いうまでもなく、自動小銃の射程範囲内だ。
この銃撃戦による弾頭が、陸自宿営地内で複数発見されたことも判明している。岡部俊哉陸上幕僚長は7月21日の会見で、「宿営地近くでの発砲にともなう流れ弾が上空を通過しているという報告は受けていた。弾頭は日本隊を狙って撃たれたものではないとみている」と述べたが、朝日新聞の報道によれば、銃撃戦の最中、自衛隊員は宿営地内で防弾チョッキやヘルメットをつけ、身を低く構えていたという。陸自が戦闘時における態勢をとっていたのは疑いようがなく、これは戦闘に巻き込まれる一歩寸前だったことを意味すると言える。
また、同月8日には国際協力機構(JICA)の車両が走行中に銃弾を受けている。菅義偉官房長官は会見で「人的被害はなかったとの報告を受けている」と説明した。同月13日、悪化するジェバの情勢を受け、JICA関係者ら計93人が民間機で隣国に退避。その翌日には航空自衛隊が輸送機を出動させ日本人4名を避難させた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、戦闘が再燃した7月8日〜8月28日にかけて、スーダン国内の約12万人が周辺国に逃れ、難民数は約98万人に達したという(毎日新聞9月13日付)。