たしかに、古舘は『報ステ』を辞める前にも、「AERA」(朝日新聞出版)のインタビューで「自分の感ずるところ、思うところをなかなか言えない。表の報道をしてて、裏の背景をあんまり言えない」「ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えない」「プロレスですよ、世の中。完全にプロレスです」などとキャスターとしてのストレスを語っていた。
言いたいことが言えない。そのことが古舘のなかで鬱憤として蓄積されていったことはたしかなのだろう。だがそれは、“裏の背景を言いたい”“テレビが伝えない事実を伝えたい”という、報道キャスターとしての矜持から生まれる鬱憤だったはずだ。
しかし、先月5月31日に掲載された朝日新聞のインタビューでは、記者から政権からの圧力について問われると、これまで繰り返してきたように否定。そして、「画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある」「だれかから文句を言われる前に、よく言えば自制、悪く言えば勝手に斟酌したところがあったと思う」と述べた。
本サイトでは何度も詳細にわたって言及してきたように、古舘は完全に政権から包囲網を張られ、降板へ追いやられたのはたしかな事実だ。現に、同時期に『NEWS23』(TBS)のアンカーを降板させられた岸井成格は、政権からの圧力の存在をこう認めている。
「直接的なものはなかったけれど、あったか、なかったかでいえば、圧力はあったと思います。ただ、やり方が非常に巧妙で、『テレビ局の都合で決めました』となる」(「女性セブン」2016年6月23日号/小学館)
それなのに、古舘は“自分が勝手に斟酌した”と政権からの圧力とテレビ局の自主規制をごまかそうとする。だが、古舘がほんとうにそんな姿勢だったのだとしたら、先日、ギャラクシー賞テレビ部門大賞に輝いた「独ワイマール憲法の“教訓”」のような、政権が激怒することが必至のあんな特集はつくれなかったのは間違いない。
きっと古舘としては、岸井と同じように圧力を肌身に感じながら自由に言いたいことも言えない状態に嫌気がさし、キャスター人生の最後に思い切った特集を世に放った。そうやって報道と“決別”したからこそ、バラエティ番組で清々しい面持ちで“脱報道”宣言を行えるのだろう。もちろん、今後、バラエティに戻ることを考えれば、圧力があったなどとは口が裂けても言わないはずだ。