この民事訴訟でキャサリンさんは勝訴した。つまり、検察は不起訴にしたが、キャサリンさんの訴えは真実であると裁判所は認めたのだ。だが、レイプ犯が刑事免責を受けているのも事実だった。だからこそ、彼女は決意をする。〈たとえ政府が傍観しているのだとしても、わたしは、自分自身とほかの犠牲者のたちの名誉のために立ち上がる〉と。
キャサリンさんは、同じように米兵の性犯罪が日米地位協定によって正当に扱われていない沖縄に思いを寄せた。そして、自分も米兵のレイプ被害者であることを告白し、沖縄の6000人もの聴衆の前に立ってスピーチをした。話し終わると、ひとりの女性がキャサリンさんの手を取った。その年配の女性は「あなたを待っていたの」と言う。
「五十年前に、わたしもアメリカ兵にレイプされた。五十年間、わたしは悲しみながら生きていた。いまでは七十をこえてしまったわ。でも、あなたのスピーチにあった言葉のおかげで、今日からまた自分の人生を生きたくなった。あなたに感謝するわ。あなたは、レイプされたのはわたしたちのせいではないとはっきりいってくれた」
キャサリンさんの言葉に、勇気に、一体どれだけの人が励まされただろう。性犯罪は、加害を受けたあとも被害者にずっと苦しみがついて回る。誰にも打ち明けられず表面化しないことも多い。その上、米軍による事件は加害者が正当な司法の裁きを免れることは、沖縄で起こってきた数々の事件とキャサリンさんの経験でもあきらか。何重もの痛みに覆われた沖縄で、キャサリンさんの力強いメッセージは一筋の光を差し込んだはずだ。
しかも、メッセージを発信しつづけていたキャサリンさんのもとに、アメリカに住む人からある情報がもたらされた。それは、例のレイプ犯が育児放棄の罪でアメリカの刑務所に入っている、というものだった。
キャサリンさんはすぐさま、ちょうど面会予定が入っていた日本政府の役人たちに、アメリカでその男の裁判を担当している判事に自分の判決を送ってほしいと訴えた。だが、ここでも理不尽が襲いかかる。役人たちの返事は〈日本政府からあなたの判決を送ることはできかねます〉という、誠意のかけらもないものだった。
キャサリンさんは、そのとき役人たちに、こう言い返したという。それはまさに日本政府がいま、真正面から受け止めるべき提言だ。
「あなたたちは、自分たちにはなにもできないとおっしゃいます。日米地位協定があるからでしょう。ですが、わたしにいわせれば、“なにもできない(impossible)”という言葉をふたつに分け、“なんでもできる(I'm possible)”という言葉に換えなくてはいけません」