まず、STAP細胞の作製は自分ではなく若山氏の主導だったという小保方氏の主張だが、これは事実だ。
STAP 細胞の研究の骨子は、細胞を弱酸性の溶液に浸すと、その細胞が多能性を獲得するというものだが、実験には、3つの段階がある。第1段階は、酸処理した細胞にOct4という遺伝子が発現し、細胞が緑色に発光するかどうか。第2段階は、その細胞をマウスの背中に注射して、テラトーマと呼ばれる良性腫瘍ができるかどうか。そして、第3段階で、このSTAP細胞を使って、増殖性を持つSTAP幹細胞をつくり、キメラマウスを作製する。これがすべてクリアされて、はじめてその多能性の証明がなされ、STAP細胞は存在していることになる。
しかし、小保方氏が担当していたのは第1、第2段階まで。実験の要である第3段階は、すべて若山氏が行っており、小保方氏には、STAP幹細胞やキメラマウス作製の技術はなかった。
小保方氏が手記で主張する“若山氏が小保方氏の思いを無視してSTAP幹細胞やキメラマウス作製に走った”“実験結果を得る前に論文の結論を提案するなどシナリオをつくっていた”ということについては、当事者間の話なので判断できないが、若山氏がSTAP細胞にかなり前のめりになっていたのはたしかだろう。
小保方氏は、若山氏が2014年2月のネイチャー誌のインタビューに応じており、「私が自分で実験して見つけたんだ。実験結果は絶対に真実だ」と発言したと書いている。
調査委員会の調査報告書でも、若山氏はむしろ、小保方氏にこういうデータを用意してほしい、これじゃ論文に使えない、などと、結論ありきでデータを要求、それがデータの改ざんや捏造につながっていた可能性が指摘されている。
また、若山氏は当初、理研の特許部門に特許配分案を提案しているが、その内訳は、小保方氏に39%、ハーバード大のチャールズ・バカンティ氏と小島宏司氏に5%、そして若山氏自身に51%だったと小保方氏は明らかにしている。この数字を見るだけでも、誰がメインプレーヤーだったかは明らかだろう。
マスコミは、自殺した笹井芳樹・元理研CDBセンター長と小保方氏が二人三脚でSTAP細胞をつくり上げたかのように報道したが、実際は、笹井氏が会見で語っていたように、笹井氏が手伝ったのは論文の仕上げ段階のみで、STAP細胞は若山氏が責任者であり、若山氏の指導の下でつくったものだったのだ。