愛人たちはもちろん、小林氏も八木との距離を感じるようになっただろう頃、08年7月17日に最高裁で死刑判決が下った。13年6月14日、面会で小林氏は八木に「疑っているのか」と問われると、「半々です」と正直に答えるようになっていた。しかしそれにも八木は、「まあいいや。ボクに会えるのは小林さんだけなんだから、本当のことを書いてよ。人間、14年間も嘘はつけないよ」とうそぶく。前年12月に強力な弁護団が再審を支え、東京高裁がAさんの臓器の再鑑定を決めたことも心強い後押しになっていたのかもしれない。
その一方で小林氏と文通を続ける愛人たちは、罪を償う言葉と、〈最後に人の心を取り戻してから刑に服してほしい(武まゆみからの手紙)〉〈八木さんは自分だけがたすかればいいという人だから本当にわるい人間ですネ(カレンからの手紙)〉と、八木批判を綴っていた。大真面目に無罪を主張すると八木と、懺悔する愛人たちのはざまで、小林氏は混乱する。
死刑が確定し、もはや終わった事件かと思われていたときだった。13年8月に〈「Aさんは溺死」との鑑定結果〉が出ており、15年7月24日の面会時には、「再審決定が出るから車で迎えに来てほしい」とまで言っていたのだが、同月31日、東京高裁は〈「(保存状態が悪く)臓器が汚染されていた可能性が高い」と再審開始を認めない決定〉を下した。その後の面会で八木は目を潤ませながら、「こんなことで凹んでいられない、特別抗告をする」と新たな決意を表明。八木の特別抗告が報道されたのは冒頭の通りである。
八木の死刑はどうなるのか──以後、この事件が報道されるとしたら、その1点のみとなるだろう。だが、小林氏の元に入ってくるのは、そんなそっけない情報ではなかった。15年8月11日、15年の満期で出所したカレンが、裁判でさえも明らかにされなかった“真相”を小林氏に放った。
それは、愛人たちの証言を中心に進められた裁判をくつがえすものだった。小林氏はさっそく八木にカレンの言葉を伝えると、死刑囚の目は生気で輝いたという。
事件は今後、どう転ぶのか。「死刑囚」という肩書きがついてもなお、そう簡単に“終わり”が来ないのが“殺人事件”なのだ。
(羽屋川ふみ)
最終更新:2016.01.18 12:32