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巨額粉飾の東芝は労働環境もブラックだった! 不正経理の“元凶”西室会長=岡村社長体制下でうつ病や自殺者も

『ルポ 過労社会』(中澤誠/ちくま新書)によれば、岡村社長時代から社内はすでにブラックな労働環境になっていた。たとえば、埼玉県深谷工場の液晶生産部門では加重ノルマに精神を病む労働者が続出していたのだという。2000年秋から、埼玉県深谷工場で「M2」プロジェクトと呼ばれる液晶生産の新規プロジェクトが行われたのだが、前身の「M1」プロジェクトでは開発に1年1カ月と時間がかかったということもあって、「M2」プロジェクトでは半年で完成させることが求められた。「社運をかけたプロジェクト」ということもあり、深谷工場には100人近いエンジニアが集められたのだが、そのなかにはのちに、うつ病を発症し東芝相手に解雇をめぐる裁判を起こす重光由美さんもいた。

「M2」プロジェクトにおいて重光さんは自身を含め3名が担当する、ある工程のリーダーを務めることになる。当時の生活は8時から9時の間に出社し、帰宅は23時を過ぎることが日常的で、午前0時を超えることも増えた。もともと「M2」プロジェクトでは週末も出勤を予定したスケジュールが組まれていたが、計画が遅れ出すと輪をかけて休日出勤が増え、プロジェクトが始まった00年12月から翌年4月にかけての所定時間外労働時間は、客観的な証拠が残っているだけでも平均して月90時間34分にも上るほどになった。労働基準監督署が過労死認定するための基準「過労死ライン」の「月80時間」を上回っている。

「タイトな開発スケジュールに、相次ぐトラブル対応。計画の遅れを取り戻すための繁忙な日々が続いた。やがて体が悲鳴を上げた。プロジェクトに加わって約半年後、うつ病を発症する。上司に何度も『担当を外してほしい』と訴えていた」(同書より)

 管理者教育にカウンセラーの雇用、当時の東芝は全国の企業の平均水準を上回るメンタルヘルス対策を行なっていたとされているが、それも名ばかり。

「改善されない労働環境に、重光さんのうつ病は悪化していき、2001年5月ごろから休みがちになった。(略)体調不良で仕事を休み自宅で寝ていると、上司が『明日の会議に出てくれないか』と電話してくることもあった。2001年9月、休職に追い込まれた。復職もかなわず休職期間が満了した3年後、会社から解雇を言い渡された」(同書より)

 重光さんは労災認定と解雇無効を求めて提訴。08年に東京地裁は東芝の過失を全面的に認める解雇無効の判決を出し、09年には労災不支給取り消し訴訟でも勝訴し労災認定された。解雇無効の判決に関しては東芝側は即日控訴した。

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