■警察・検察の「大きな声」は危うい、「小さな声」に耳を傾けろ
取材を進めて行く上で、清水が大切にしているポリシーがある。事件・事故による故人や、冤罪の疑いをかけられた一般市民などの「小さな声」に耳を傾けるということだ。
「記者を集めて発表ができる人達って元々すごく大きな声、発言権を持っているんだよね。例え自分がやらなくても、そういう人たちの話はどうせ世の中に轟きわたる。なら、でかい声なんてほっときゃいい。誰にも気づかれていないこと、あるいは言いづらいこと。そういう人たちの声を探して、言いたいこと・言えなかったことを切り出していく。その小さな声をアンプにかけて、大きくして世の中に伝えるのがメディアの仕事だと思っている。まあ、これは何も調査報道に限った話じゃないんだけどね」
清水がそうした心構えを持つようになった出来事がある。1997年、群馬県内の広告代理店がパソコン内の顧客データを消されたとして、経営者が当時社員だった女性に損害賠償を求めて訴えた裁判だ(『騙されてたまるか』では第7章に収録)。
当初朝日新聞の報道を信じて取材に向った清水は、被告当事者の話を聞く中で原告の言っていることと「何だか話が違う」という違和感を持つ。再度広告代理店に戻ってパソコンを操作してみたところ、顧客のデータがすんなり画面に登場。当時はパソコンが国内に普及し始めたばかりで、操作に慣れていなかった経営者が「データを消失された」と勘違いしていただけだったのだ(その後、朝日新聞では訂正報道が行われた)。
「20歳前の一市民がいきなり元勤務先から『データがない』と訴状をつきつけられたら、例え濡れ衣だとしてもなかなか反論なんてできない。でも、調べてみたら結局は彼女が訴えている通りで、社長の一方的な主張を大新聞が間違って報じていた。彼女の言い分が世に出ていないのは、当時のメディアがちゃんと『小さな声』を聞いていなかったからだと思ったんだよね」
その約2年後、桶川ストーカー殺人事件への取材を経て、清水は警察・検察などの「大きな声」が持つ危うさを確信するに至る。
「桶川事件のときも、警察は夜回り取材の記者に対して『被害者はブランド志向の女子大生』なんてこっそり言っていた。加えて、当時警察は被害者宅に常駐していて、遺族取材もできなかったんだよね。でもそういう状況のなかで、被害者の女性は『警察に告訴状を出しても助けてもらえない』と事件前に懸命に友達に伝えていた。亡くなった人の声ほど小さいものはないから、それを聞いちゃった自分はちゃんと取材しないといけない。
当時、埼玉県警の捜査一課と上尾市の署長は笑いながら記者会見に臨み『本件(殺人事件)とストーカーは関係があるんですか?』と質問を受けても『そんなことわかりませんよ』なんてへらへらと答えている。今見てもすごい映像だ。ああいう大きな声ばっかり聞いてると記者はおかしくなってしまう。だからあえて聞かなくてもいいと思うようになった」