また、最近は「自分(宮沢和史)の祖父は硫黄島で戦死している」という事実も明らかにし、今年の沖縄戦から70年目を迎えた慰霊の日(6月23日)には、日本テレビ『NEWS ZERO』に沖縄から出演し、「(20万人の犠牲を被った沖縄戦に至る)ああいう結果になってしまった判断をした人への怒りを鎮めて、まだまだ地下にくすぶっている魂を空に浄化させてあげたい」と「島唄」に込める思いを語り、「今回取材をさせていただいて(思ったのは)、『戦争を知らない世代』とかいうじゃないですか。でもそれは現実から逃げているのではないかと。というのも、この島にはまだまだ基地がありますし、人骨、不発弾も残っている。だから、まだまだ戦争は終わっていないんですよね。僕らはまさに今、戦争を経験、体現していると思うべきだ」と語るのだ。
戦争という痛みだけでなく、宮沢は沖縄という伝統やアイデンティティをも伝えようとしている。かつては、「ロックバンドが弾けもしないのに三線を振り回してと」「一部の人からはおしかりや批判もあった」(「映画.com」インタビュー、2013年)という宮沢も今では、三線の材料となる黒檀を植栽し、100年育て、国産黒檀の三線を作るというプロジェクトにも積極的に関わっている。
「100年前にこういう思いがあって始めた、だなんてことを誰も知らなくていい。(中略)当たり前にくるちがあって、でいごが咲いて、民謡を歌っていて、新作も生まれてラジオから民謡が流れて。そういう姿を夢見ますね」(ショートムービー『THE BOOM 島唄のものがたり』)。
この先、100年で基地がなくなり、当たり前の平和が沖縄に訪れるのか。その一歩目は、辺野古を止められるかどうかにかかっている。
(島谷チヨコ)
最終更新:2015.09.14 09:23