晋太郎の元後援会青年部で、長門市議も務めた大下和政氏(75)はこんな懸念を述べている。
「晋三さんには焦りみたいなものを感じるんじゃ。日本の国を自分で守るのは賛成じゃが、同時に戦争は絶対にやってもらっては困る。(国会で)野次を飛ばしたりするのも、あんな総理は過去にいなかった。数のおごりがあるんじゃなかろうか。それは心配しちょる」
油谷で農業を営む長門市議の三村建治氏(68)は、青木氏の取材に対して、晋三の印象をこう語っている。
「晋三さんは、寛さんや晋太郎さんとは違うように見えるね。殿上人になってしまっていて、庶民がどうのとか、手の届かん人になってしまって……。僕は、安保法制の考え方自体には賛成なんだ。ただ、人間的に未熟な部分がある。そういう部分が失敗を引き起こすこともあると思う」
また、安倍家が菩提寺としている長安寺の住職・有田宏孝氏(77)は、青木氏の取材に応じ、寛の葬儀の際には村総出で長蛇の行列ができたと父から聞かされてきた、地元に根をはっていた寛や晋太郎の悪口をいうものは村で一人もいないだろう、と証言している。しかし「それに比べると晋三さんはね……」と、青木氏にこう語った。
「こう言っては失礼だが、東京生まれ、東京育ちのボンボン。寛さんや晋太郎さんとは、ぜんぜん違いますなぁ」
そして、青木氏が一番、印象に残ったというのが、安倍家三代の熱心な支援者で、幼い頃に寛と会ったことがあるという山本庸一氏(82)だ。山本氏は今も晋三を支持していると言いながら、こんな言葉を漏らしている。
「いまの安保法制なんて話、寛先生ならせんかっただろうなぁと思います……」
ようするに、油谷町の人たちは一貫して反戦、平和主義を貫き“郷土の誇り”となった寛と安保法制を強行しようとしている晋三を比べ、晋三に失望しているのだ。