これは、トルコ政府が「クルド人弾圧はない」と主張しているため、日本は“外交的配慮”を行っているからだ。だが、他国はクルド人難民を受け入れ、その難民認定率は2005年で世界平均18.7%、2011年で13.6%となっている。ここで浮き彫りになるのは、〈難民の保護という人権・人道の問題よりも政治・外交問題が優先されてしまっている〉という日本政府の対応だ。
こうした日本の難民問題に知らんぷりするような態度に、国連も勧告を出している。
〈国連の人種差別委員会は、日本の難民認定について「特定の国からの庇護希望者には異なった優先的な基準を適用しており、他国の出身で国際的保護が必要である庇護希望者は強制的に危険な状況に戻されていることに懸念を改めて表明する」としています。前者の「優先的な基準」が適用されているのはミャンマー、そして「強制的に危険な状況に戻されている」のはトルコのクルド人であることは明らかです。さらに、国連の人権理事会も、難民に該当するかどうかの再審査については、法務省の出入国管理行政から独立した機関を設けることを勧告しています。しかし、制裁措置のないこれらの勧告に「牙」(強制力)はありません〉
そして、こうした問題が国内で強く疑問視されない背景には、日本の“排外思想”にもあるだろう。だが、著者は、難民受け入れは“社会を成熟させる”と述べ、外国人に対する排斥の声にこう抗する。
〈難民制度を日本という豊かな国に行くための“チケット”として考える人ばかりではないことは、二〇一二年に日本行き第三国定住の希望者がゼロになったことからも実証済みです。難民申請者が再申請を繰り返してずるずる長く滞在し、不法就労し、その実態がつかめなくなってしまうよりも、きちんと社会の一員として統合し、「人財」として活躍してもらうほうが生産的であるはずです。ましてや、今の日本政府の認定は極めて閉鎖的で、このままでは難民条約をあまりにも狭く解釈し、国際法違反になるすれすれでもあるのです〉