もともと東芝は原発輸出や軍需など、政権と近い国策企業のひとつだった。とくに、今回の不正経理の張本人である佐々木則夫元副会長(2009年~13年まで社長)は社内で「原発野郎」と揶揄される存在だったことは本サイトでも既報のとおり。その佐々木氏は、12年に第2次安倍政権が発足するや経済財政諮問会議(13年)や産業競争力会議(14年)の民間議員に立て続けに選ばれ、安倍晋三首相がUAEやトルコなどを訪問した際には同行し、原発を売り込むほどの“仲”だった。
こうした政権との“蜜月”というか“癒着”を生み出したのが、他ならぬ西室泰三氏だったといわれている。ジャーナリストの杜耕次氏は新潮社のwebサイト「フォーサイト」(9月1日付)で西室氏の所業を〈官邸や経済産業省と一体となって国策事業の受注に血道をあげる「エレキのゼネコン」へと化した昨今の東芝を作り上げた〉と喝破している。
とくに安倍政権と西室氏の親密ぶりは尋常ではなく、第2次安倍政権発足翌年の13年には菅義偉官房長官が当時の日本郵政社長・坂篤郎氏(当時66)を強引に解任し、後任に西室氏(同77)を据え、政財界の関係者を驚かせたことは記憶に新しい。
そして何よりその親密ぶりが露わになったのが、15年の安倍政権の“目玉政策”である「戦後70年談話」の有識者会議の座長を務めたことだ。西室氏は談話について「いたずらに謝罪することを基調にするより、これから先を考えて未来志向に」と、首相の意向を最大限尊重した。安倍首相のメンツのためにも官邸が「東芝と西室を守れ」となるのも当然なのだ。
だが前述のように、その西室氏こそが不正経理の元凶であるとの声は根強い。東芝に詳しい別のジャーナリストが言う。
「西室さんを東芝きっての国際派と持ち上げる人もいますが、要は親米経済人の典型で、新自由主義者です。1996年に社長に就任するや、米国流の経営を積極的に取り入れ、98年には執行役員制を導入して取締役会を少人数で牛耳ることに成功した。99年には社内カンパニー制を敷いて、業績の責任を下に押し付ける体制をつくり上げた。目先の収益にこだわる短期的視点のリストラを繰り返し、“社会に貢献する東芝”から“株主のみに貢献する東芝”にすっかり変えてしまったのです。第三者委員会から不正経理の原因と指摘された『上司に逆らえない企業風土』は、西室体制が生んだと言ってもいいでしょう」
東芝は企業理念の「豊かな価値を創造し、世界の人々の生活・文化に貢献する」を技術で実現してきた会社だった。それが、西室氏の台頭によって株主利益の最大化を求める米国流の会社に変わってしまった。西室氏以降の歴代経営者は四半期ごとの利益水準を厳しく問われ、最後はインチキをしてでも数字を“つくる”会社にまでなってしまったわけである。