また、小説家・評論家である橋本治は、根本的な問題として、〈戦後七十年がたって、「国民の政治がない」──ずっとないまま来たということがはっきりしてしまいました〉と述べる。
〈戦争は終わって「軍人」はいなくなり、天皇は政治の場から退いたけれども、政治体制の根本は明治以来の「薩長藩閥政治」の伝統を引いて、そのまんまです〉
旧態依然としているのは自民党だけではない。野党は野党で〈戦前から引き続いての左翼政党で、「左翼的である」という枠に止まったまま、政権担当能力がありません〉。しかし、そこには国民の意識の問題がある。
〈政治は、明治以来の「伝統」を継ぐ与党が担当するもので、与党の政治家こそが「プロの政治家」だと思われていたので、野党に政権担当能力があるかどうかを考えず、その内に社会主義の退潮が世界的なものとなって起こっても、日本は高度成長の繁栄の中にいたので、野党である左翼がその実質をなくしてしまっていても、「どうでもいい」のまま放置されました〉
新たな野党が生まれても、それは与党が分裂してできただけ。「政策の違い」は争点とならず、結局「人間関係の対立」でしかない。だからいざ政権交代が起こっても、〈「素人集団」のような馬脚を現してしまうと、雰囲気としては「政治はプロに任せておけ」〉となる。その結果、〈明治の薩長藩閥政府の時代に逆戻り〉しているのが現在なのだと橋本はいう。
〈戦後七十年の間、どうして日本人は「旧態依然」でもなく「社会主義化」でもない「国民の政治」を作ろうとしなかったのか、私にとっては謎で、そもそもそういう考え自体がないというのが、もっとも大きな謎です〉
前述した島田は、8・30のデモについて〈意図はしなかったにせよ、市民に政治的覚醒を促したことだけは安倍政権の褒められるべき点だ〉とTwitterで述べたが、戦後70年というタイミングで、わたしたちは長く放ったらかしにしてきたさまざまな問題にぶち当たっている。今回、著名人たちが寄せた文章は、そうした問題を再考するための材料にもなり得るものだ。
国民を無視する史上最悪の政治家がトップに立ついま、再び戦争という悲劇を繰り返さないために、考えなくてはいけないことは山のようにある。戦後70年目の“夏の宿題”は、まだまだ片付きそうにない。
(水井多賀子)
最終更新:2015.09.02 08:16