そんななか、Hey!Say!JUMPはこのすべての派閥を経ている珍しいグループなのだ。もともと、ジャニー社長のお気に入りでKinkiやタキツバのように社長直轄グループであった彼ら。しかし、一時期飯島氏に担当を預けられることになる。それが、ちょうどメンバーの山田涼介、知念侑李が同じジャニーさんのお気に入りであった中山優馬とともにNYCを結成した2009年頃のことだ。
しかし、この年、なんとHey!Say!JUMPのシングルリリースは0。デビュー3年目といえば、認知度も上がってきてどんどん売り出したい時期だろう。それなのに、メインの山田・知念がNYCの活動に力をいれる状況になってしまった。
もともと、飯島氏はKis-My-Ft2で北山宏光・藤ヶ谷太輔・玉森裕太を推し、後ろの4人とは衣装まで変えて売り出したり、Sexy Zoneでも佐藤勝利、中島健人、菊池風磨を固定メンバーとし、CDリリースやイベントの度にメンバーを入れ替えるといった“格差売り”を得意としている。
その手法をHey!Say!JUMPにも使ったというわけだ。
ところが、これに反旗をひるがえしたのが、当のメンバー達。
「メンバーによって扱いに差をつける飯島さんのやり方にはついていけない。自分たちはみんな平等の「嵐みたいになりたい」と、ジャニーさんに直談判し、飯島氏の管轄からはなれ、嵐を育てたジュリー氏に担当してもらうようになったんです」(芸能関係者)
他人を平気で蹴落とし、仲間さえも出し抜く、というギスギスした芸能界ではなかなかいい話ではある。
たしかに、Hey!Say!JUMPはプライベートでも休日にメンバーと買い物や遊びに出かけるほど仲良し。ほかのグループは、お互いの連絡先も知らない、知っててもプライベートまでは……というところが多いなか、Hey!Say!JUMPはメンバーが友達という感覚が強いようにみえる。
しかし、これに怒ったジャニーさんによって、Hey!Say!JUMPは『ザ少年倶楽部』(NHK)の司会を途中で降板させられ、冠番組だった『ヤンヤンJUMP』(テレビ東京)も打ち切り。一時的に干されたかたちになってしまった。