たいそう自由に暴言を繰り返している印象だったが、そこにも彼女なりの美学を基準とした自制が効いていたのである。
しかし、彼女の職業は“アイドル”なのに、なぜこんなにも炎上を繰り返すのだろうか? そこにも、指原流の考えがあった。
〈そもそも悪口を言うのは、気になっているから言うんじゃないでしょうか。前向きすぎですかね?
でも、気になっていなかったら、悪口さえ言いませんよね。一周回ってそれは、好きと同じなんじゃないのかなと。
例えば、漫画家の小林よしのりさん。
私は一時期、よしりん(小林よしのり)に「指原のことが嫌いだ」と言われていました。そのことを書いたブログがネットを通じて拡散して、私の耳にも届いたんです。
ラッキー、と思いました。
テレビやラジオでよしりんに嫌われているという話をしまくって、よしりんにまた嫌われて、対決の構図を強化しました。
(略)アイドルって、好きな人と嫌いな人が両方いることで盛り上がる、と私は思っています。賛否両論があることで、人気がふくらんでいく。
話題がないことが一番怖いんです。燃料をどんどん足していかないと鎮火しちゃうから、鎮火する前に「好き」でも「嫌い」でもいいから、話題になるような燃料を見つけて自ら投下する〉(前掲書より)
「悪名は無名に勝る」というのを地で行くのが指原莉乃というアイドルなのだ。「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」という、マリー・ローランサンの有名な詩があるが、定期的に炎上の薪をくべている限り、彼女が世間から忘れられることはないだろう。
こうして考察してみると、なんとも関心するばかりの巧みな指原流ネット活用術である。
しかし、こういった計算高さが、秋元康をはじめ権力者から気に入られ、大人たちに「それでも好きだよ」と言わせてしまうところにつながっているのだと考えると、なんとも複雑な気持ちになってしまうのだが……。
(新田 樹)
最終更新:2015.08.08 11:43