デビュー後、宇多田ヒカルがアルバム『First Love』で累計売り上げ枚数765万枚という前人未到の記録を打ち立てるのはご存知の通り。しかし、そんな成功の裏でも、彼女にとって“音楽をやる理由”は、“親”のままであった。前掲の「Cut」ではこう語る。
〈子供の頃ってみんな親を喜ばせたいからなにかをやるじゃないですか。その延長線で親が喜ぶからわたしも音楽やってたわけだけど〉
このように、両親の期待に応えるため音楽に打ち込んだ彼女だが、どこかで親離れはしなければならない。そのために選んだ手段は“結婚”だった。しかし、彼女の最初の結婚は5年足らずで崩壊してしまう。それは、まだ“子ども”である彼女が、自分と親の関係のために選んだ結婚だったからだ。前掲の「Cut」では、前夫である紀里谷和明との結婚を決めた理由をこう語る。
〈わたしとしては親から一旦籍を抜くみたいな、『わたしもひとりの大人なんです、あなたたちの思いどおりになるものじゃないんですよ』っていうのをちょっと示したかったりして〉
自分自身で「お互い自分のための結婚だったんですよね」と振り返る通り、そんな結婚が長く続くはずがない。しかも、親から離れるための結婚だったのにも関わらず、その夫との出会いの場をつくったのが父親だったのだから、なおさらだ。
宇多田ヒカルと紀里谷和明の出会いは、00年12月、シングル「Can You Keep A Secret?」のジャケット撮影を紀里谷が担当したことがきっかけだった。その作品のプロデュースは、父である照實である。
将来的に夫婦関係になることを見越したわけではないだろうが、とにもかくにも、宇多田ヒカルと紀里谷和明の出会いの場を用意したのは照實であった。
そしてその後、紀里谷はシングル10枚・アルバム3枚のジャケット制作を手がけ、プロモーションビデオも9本撮影、さらに、全国ツアーの演出も担当した。宇多田親子と紀里谷による協働関係は長く続いていくことになる。
しかし、その3人の協働関係と夫婦関係の崩壊は同時にやってくる。06年に行なわれたツアー『UTADA UNITED 2006』の演出をめぐり、紀里谷・照實の間で確執が起きたのだ。結果、直後の07年に離婚にいたるわけで、結局、この結婚で親からの“呪縛”が解き放たれることはなかった。