しかし、森の凄いところは、ここまでスキャンダルまみれになっているにも関わらず、何ら反省することはなく、まるで自分が被害者のごとく開き直っていたことだ。自分を追い込んだのはスキャンダルを報じた週刊誌を中心とするマスコミだと責任転嫁し、メディア規制の必要性をぶち上げる始末だった(それが後の個人情報保護法や名誉毀損訴訟の損害賠償金額高騰につながっていった)。
だがそんな折、決定的事態が起こる。それが高校実習船の「えひめ丸 米原潜衝突事故」だった。
2001年2月11日、ハワイ沖で愛媛県宇和島水産高等学校の実習船「えひめ丸」が、浮上してきた米原子力潜水艦と衝突し沈没、「えひめ丸」の生徒4人、教員5人が死亡した日米関係をも揺るがしかねない大事故だったが、事故の一報を森が知ったのは横浜市内で遊び仲間とゴルフ中のこと。しかも森はプレーを止めることなく、その後2時間もかけ3ホールも続行したのだ。
当然、森に対し大きな批判が巻き起こるが、森本人だけは「ゴルフが悪いことなのか!」とこれまたトンチンカンに話をすり替え、開き直ったのだ。ここに至り国民からは総スカンをくらい、自民党重鎮からも「もうもたない」との声があがるなか、遂に辞意を表明、2001年4月26日に森政権は終焉を迎えた。
だが、不幸なことに森首相の政治生命はついえていなかった。同じ清和会出身で、自分が首相時代に副官房長官に引き立てた、子飼い中の子飼い、安倍晋三が首相の座についたことで、森はご意見番、後ろ盾として復活。直接は政策に口を出さないものの、その裏で自分の利権を太らせていったのだ。
一方、安倍のほうも森への気の使いようは尋常ではなく、東京五輪の組織委員長に森をごり押し。一旦は当時東京都知事の猪瀬直樹に拒否されるが、猪瀬のスキャンダル辞任に乗じて、森を委員長に押し込んだ。
しかも、こんな事態を引き起こせば、引責辞任するのが普通だが、安倍は頑として森を守り、今も森は組織委員長のイスにふんぞり返っている。
「安倍首相が森さんにここまで気を遣っているのは、昔、引き立てられた恩義というのもありますが、もうひとつは、ロシア、プーチンとのパイプです。安倍首相は任期中に北方領土返還の道筋をつけたいと思っており、そのためにはプーチンと仲のいい森さんが必要だと考えている。実際は、森さんが対ロシア交渉で役立つというのも、そもそも北方領土の返還にロシアが応じるというのも、ありえないと思いますが」(政治評論家)
むしろ、森元首相が五輪の組織委員長に居座っている限り、これからも今回のようなトラブルが続発し、世界にもっと大きな恥をさらすことになる可能性が高い。意外にこの男の存在が安倍政権にとどめを刺すかもしれない。
(時田章広)
最終更新:2015.07.31 01:54