こうした国内での経緯があって、38年2月、内務省は軍の要請にもとづく慰安所従業婦の募集と中国渡航を容認するよう通達し、また、軍との関係を隠すよう業者に義務づけた。これも内務省から各庁府県長官に宛てた文書から明らかになっている。さらに同時期、陸軍省副官から北支那方面軍および中支那派遣軍参謀長にあてた依命通牒では、女性の募集にあたっては地方の憲兵や警察当局と連絡をとるよう、中国駐屯の日本軍が命じられていた。つまり、業者は好き勝手に売春を斡旋していたわけではなく、行政の方針や軍命のもと庇護され、超法規的に慰安婦となる女性を調達していたのである。
そして、この特集記事で注目すべきは、永井教授が2004年に発見した「改正野戦酒保規程」(37年9月29日付)という資料である。これは、陸軍大臣から陸軍内に通達された公文書で、その内容は、軍隊内の物品販売所である「酒保」に「慰安施設を作ることができる」との項目を付け加えていた、というもの。つまり、わざわざ慰安所設置のために軍の規定を変更していたわけだ。
これは、慰安所が民間ではなく軍の施設であることを裏付ける証拠のひとつとなる。たとえば産経新聞は社説や同社発行の保守系雑誌「正論」誌上で、慰安婦は「民間業者が行っていた商行為」で「自ら志願した娼婦」などと主張しているが、上記の公文書などの存在を(おそらくはあえて)無視した言説だろう。しかも産経が悪質なのは、他ならぬ鹿内信隆・元産経新聞社長が著書で、陸軍経理学校時代に“慰安所のつくりかた”を教わったと証言していることまで、知らぬ存ぜぬを突き通していることだ。鹿内元社長は、桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)のなかで、はっきりとこう言っている。
「(前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(註:慰安所のこと)が……」
「調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」
事実、本サイトでも既報のとおり、靖国偕行文庫に所蔵されている、陸軍経理将校向け教科書『初級作戦給養百題』にも「慰安所ノ設置」が業務のひとつとして記されている。永井教授が発見した「改正野戦酒保規程」に、上述の鹿内氏の証言……どうみたって、これらは一つの結論を導き出すだろう。永井教授は朝日新聞紙上で、このよう結論づけている。
「慰安所は民間業者が不特定多数の客のために営業する通常の公娼施設とは違います。軍が軍事上の必要から設置・管理した将兵専用の施設であり、軍の編成の一部となっていました」