いろいろな意見が飛び交いつつも、『絶歌』が売れているのは事実。初版10万部に続いて、5万部が増刷されたとの報道も出たばかり。そんな本をみすみす逃すなんて、見城氏、言っていることとやっていることが違うのでは……。
しかも、「週刊文春」(文藝春秋)のインタビューを読むと、「実名じゃないと出せない」とか「反省が足りない」などと完全に後付けだろう、というような優等生的な理由を並べ立てている。いったいどうしてしまったんだろう。見城氏の著書を読んで、「幻冬舎に出してもらいたい」と持ち込んできた少年Aもさぞ失望しているのではないかと心配になるほどだ。
かつての見城氏はよくも悪くもそんな小市民的な人物ではなかったはずだ。前述の『編集者という病い』では、90年代初頭、所属のレコード会社も事務所もない、完全に孤立してしまった尾崎豊を救うシーンがある。
見城氏は、自分が編集長を務めていた「月刊カドカワ」(角川書店)で尾崎を特集するのみならず、不動産屋をめぐり、金と人を集め、彼の個人事務所の設立にまで全面的に協力していく。
完全にサラリーマンとしての範疇を超え、「バレたらクビだった」と振り返るほど情熱的に彼をサポートする。結果として、尾崎は、アルバム『誕生』でオリコン1位を取り復活を遂げるのだが、それには見城氏の存在は欠かせなかったと言われている。
そんな情熱的な男だった彼が、なぜ、顰蹙を買う事態から逃げる男になってしまったのか? その答えも、彼の書いた『たった一人の熱狂』のなかにあった。
それは「GNOは絶対死守」という章。GNOとは、義理・人情・恩返しという意味らしいのだが、その章の中で、見城氏はあの人物について語っているのだ。
「僕はこれまで何人もの政治家と会って語り合い、食事をして来た。政治家の中でも、安倍晋三さんは傑出している。(略)
総理大臣になる前も総理に就任してからも、安倍さんは義理と人情と恩返しを大切にしている。人の信用と信頼を損ねることがないし、約束は必ず守る。驕らない。無私無欲に生きる。人間として超一級の総理大臣だ。お会いするたびに、リーダーとは斯くあるべきだと感嘆する」
気持ちが悪いくらいのほめっぷりだが、本サイトで何度も報じているとおり、最近の見城氏は安倍首相の影の指南役といわれているほど親しい関係を築いている。頻繁に会食を重ね、自分の人脈を次々に安倍首相に引き合わせる。一方でテレビ朝日の放送番組審議会委員長として権勢を振るい、安倍首相の意向を代弁する形で番組に介入する動きも見せている。
あげくは、秋元康氏らといっしょに歴史ある総理公邸西階段で「組閣写真ごっこ」を愉しんだことまで暴露された。