救世主のような強いリーダーを求める一方、すぐに結果を出せなければ世論は手の平返しで批判を強める。そして、その次には、政治不信・政治への無関心が国民の間に広がっていく。まさに、投票率が下がり続けている今の日本の状況だ。
また、社会システムの改革には、ゆっくりと丁寧な議論が必要である。しかし、今は大事な改革案にも関わらず、あまりにも拙速に事が進んでいる。
「性急な変革みたいなことは、あんまりないほうがいいと思ってる。社会のシステムっていうのは、ベストな形がなくて、常にベターと思わしきものを選んでいくしかないでしょ。何がベターかは人によって違うから、ぶつかり合うわけで。どのへんがいちばん良さそうなのかは、調整し続けなきゃいけないわけですよね。もちろん直すべきところは山積みでしょうけど」
「そういう改革はいつでも、常にあるべきですよね。そのために、政治家は議論を続けているわけで。だけど、社会のシステムがガラッと変わるような変化が起きてしまうと、不安定になる人がたくさん現れますよね」
丁寧な対話と議論を重んじる後藤の考えは、現政権よりもよっぽど“大人”ではないだろうか? ロックミュージシャンよりも、内閣総理大臣のほうがはるかに“サーチ&デストロイ!”な思想をもっているという2015年の日本は恐ろしいばかりだ。
そして、彼は“格差社会”についても語っていく。後藤自身、ロスジェネ世代であり、かつて「さよならロストジェネレイション」という楽曲も発表しているが、そんな彼にとって格差問題は常に考えるべきテーマであり続けている。
「生まれながらにしてチャンスが不平等だということに関しては憤ってる。金持ちの家のヤツだけが高等な教育を受けられるなんて、不平等だよ。金がなくて高校に行けない子たちがいるんだよ。そういうのを解消するのが政治の役割じゃないの?」
「たった数パーセントのヤツらが社会的な富を寡占するのが、本当に正しい競争かよ?とは思う。そんなに金を持ってたって、『そこまで美味いもん、もうないだろ』って(笑)」
「みんな、同じ給料にしようとか言ってるわけじゃないよ。儲かっているヤツは社会に奉仕する義務があるんじゃないか?っていうだけで。大きな資産を持っていたり、突出した才能を世の中に認められている人間は、世の中に還元していかないといけないと思うんだよね」
後藤の主張しているこの考えは、“ノブレス・オブリージュ”と呼ばれ、欧米では当然の感覚。富裕層によるチャリティ活動や寄付などが多いのは、この考えからくるものである。