小説、マンガ、ビジネス、週刊誌…本と雑誌のニュース/リテラ

安保法制で問題発言連発! 中谷元防衛相に自衛隊の“改憲クーデター”協力の過去が

 いったい、これはどういうことか。当時の中谷は、「政治家として勉強のために『力を貸してくれ』といったのは事実だが、学者を含め多方面に参考意見を求めている。私的なものであり、陸佐の文書は素案を書いた調査会側にも渡していないため、問題ない」などと釈明していたが、憲法改正という極めて高度な政治的問題に、「制服組」を関与させるというのは、シビリアンコントロール(文民統制)の観点から見てもありえない行為だ。

 しかも、文書には二等陸佐の個人名、職場の連絡先が明記され、職場のファクスから送信されたというから、「私的なもの」ではなかった。常識的に考えて、こうした「草案」「改正案」を二等陸佐が1人で仕上げたとは考えにくい。その背後には間違いなく、他の制服組、さらには幹部の存在があるはずだ。

 実は、04年の“事件”は、むしろ自衛隊の側が仕掛けたもの、つまり“軍”による“改憲クーデター計画”だったのではないか、という見方がある。

 中谷はもともと二世議員で、自衛隊出身といっても数年在籍しただけで、中枢に人脈はほとんどなく、力関係から言っても、制服組エリート集団にこんなことを指示できるとは考えられない。むしろ、自衛隊の側が自分たちの意向を改憲案に反映させようと自民党サイドにアプローチしたもので、中谷はその意を受けた単なる仲介役にすぎなかったと見られているのだ。

 そう考えると、安倍首相の意図を代行しているだけの今の中谷のありようもよくわかる。この男には確固とした政治的信条などがあるわけではなく、その時々の“ボス”にいわれるまま、何も考えずに動いているだけなのだ。

 いや、この男にないのは政治的信条だけではない。今国会でも明らかになっているように、憲法や防衛、外交に対する知識がまったくないのだ。

 中谷の“オバカぶり”をエピソードはこれまでも山ほどある。例えば、今年2月27日、防衛庁設置法の文民統制に関する改正について聞かれた際、「これ(防衛庁設置法)ができたのは1954年。私はその後、生まれたわけで、当時、どういう趣旨があったかはわらかない」などと答え、その後、国会でも追求された。

 また特定秘密保護法が成立した直後に行われた地元・高知新聞でのロング・インタビューでは、記者の質問に詰まる場面が何度も出てくる。当時の中谷は衆院特別委の与党筆頭理事。同法修正案の提出者だったにもかかわらず、内閣官房が作成した秘密保護法の逐条解説を記者に突きつけられると、「もう去年(2012年)こんなのできてんの? なんでできてるんでしょうね?」などと回答している。逐条解説を読み込んでいないどころか、その存在を法案成立後になっても知らなかったという醜態をさらしてしまったのだ。

関連記事

編集部おすすめ

話題の記事

人気記事ランキング

話題のキーワード

リテラをフォローする

フォローすると、タイムラインで
リテラの最新記事が確認できます。