これまで本サイトでは「最貧困女子」と言われる絶望的なまでの貧困、そしてセックスワークに従事する女性に関する著書を取り上げてきた。
例えば鈴木大介の『最貧困女子』(幻冬舎)や『最貧困シングルマザー』(朝日文庫)では、セックスワークの中でも最底辺に位置してしまう精神障害、発達障害、知的障害について踏み込んでいる。こうした障害ゆえコミュニケーションにも問題があるために、風俗の世界でもハードなプレイ要員とされ、さらに風俗業界からもはじかれるかたちで、出合い系サイトや出会い喫茶で身体を売るしかない女性たちの貧困が描かれている。彼女たちは“差別”を恐れ生活保護など行政の福祉に繋がることを拒否し、あるいはそうした制度があること自体を知らないケースさえあるという。
また荻上チキの『彼女たちの売春(ワリキリ) 社会からの斥力、出会い系の引力』(扶桑社)でも、ワリキリといわれる出会い系メディアを媒介として個人営業的に売春をする女性たちを取り上げている。そこには家族や社会から孤立し、生き延びるための手段としてワリキリを選択した女性たちの姿があった。
そして今回の鈴木のルポを合わせて浮かび上がってくるのは、女性のセックスワークや貧困は、決してひとくくりでは語ることなどできないということだ。そもそもその目的からして違う。鈴木もこうした多様性についてこう指摘している。
「無数のグラデーションで広がる風俗嬢は必ずしも『性的なサービス行為自体が好きであるという変わり者』と『おカネに困ってやむをえずその仕事を選んだ者』に二分できない。金銭的な理由で風俗嬢となった者だけを見ても『稼ぎたくて稼げている者』と『稼ぎたくても稼げない者』の二とおりしかないわけではない。(略)分かりやすい二分法で見分けようとすると彼女たちの姿はいくら目を凝らしても浮き上がらない」
その上、年齢や容姿、コミュニケーションなどでその格差は歪なまでに広がりを見せているようだ。
こうしたセックスワークに従事する女性たちの実像や貧困だが、今回の記事が他とは違うのは、端々に挿入される鈴木自身の体験からの目線、当時の心境や状況といった語りだ。
「稼ぐ資本としての身体は確かに持っていて、それを使ってはいたものの、どことなく目の前にある稼ぐ手段を持て余して、何にもならない時間を潰す。財布には3万円程度は入っていたが、稼いだ現金はいつも手を通りすぎるだけでいつも貧しかった。寝る時間はいくらでもあったが、なぜかいつも眠くて体調が悪かった。自分の収入がどれくらいあるかもよくわからない。ただ来週一日も仕事をしなければ、家賃が払えなくなることだけは確かだった」