そうか、オレ仕事ができないからじゃなくブサイクだから安月給だったんだ、と安心している場合ではない。2010年の調査では、年に2000時間40年に渡って勤務した生涯収入は男女平均で160万ドル。しかし容姿が並以上とみなされなかった労働者の場合は146万ドルに留まり、並よりいい者は169万ドルに高まる。美醜の差で収入が23万ドル違うというのだ。美しいだけで中古のフェラーリが一台付いてくる計算になる。本来能力で測られるべき評価がよもや「顔」で決まっていたとは。
面白いのはこれが一般の労働者のみに当てはまる現象ではないといういうこと。カナダのオンタリオ州で経済学の教授400人を対象に、調査が行われた。それは受講する学生に、教授が「イケているか」を採点させるというもの。その結果、10%の教授が「イケてる」と判定を受けた。その教授の論文数や収入にまつわる要因を調査すると、「イケてる」10%は、外見以外が全く同じ特徴の教授よりも年収が6%高かったという。知性が問われる職場でさえ、外見は物を言う。教育の現場がそれでいいのかという気もするが。
経営者も無傷ではいられない。「CEOがイケてる方が業績はいい?」とする章では、96年、スイスの週刊誌が行った「一番美しいCEOコンテスト」を紹介。結果、上位に入ったCEOに企業はいずれも他の企業よりも規模が大きいという傾向が表れたというのだ。勤務先の業績が今一つと感じている人は、改めて社長の御尊顔を確認してもいいかもしれない。役員諸氏が気になるのはこんな調査だろう。オランダのデータによれはば、人の容姿を100%で評価したとき、16%より上である重役と84%より上の重役では給料が6万ドルも違ったという。
美醜の問題としてわかりやすいのは「結婚」。アメリカと中国における調査を示し、「容姿は結婚にどう影響する?」と問う。
それは並よりも下の容貌の女性は「学のない」男性と結婚する傾向が高く、アメリカでは下位15%の容姿の女性の結婚相手は平均より就学年数が1年短いという。それは収入にも直結し、こうした男性は平均より11%稼ぎが少ない。
そんな世知辛い現実を本書は伝えている。
では「美しい人」、「残念な人」の分布はどうなっているのか。1971年、ミシガン大学で、女性1495人、男性1279人を面接し、その外見を5段階で評価する、という調査が行われた。
結果、最上位の「すばらしくハンサムか美人」は女性3%、男性2%。これは意外にも少ない結果だといえないだろうか。確かにLAであれ、ニューヨークであれ、町を歩いていて「そういう人」になかなかお目にかかれない実感はある。何せアメリカの肥満率は約30%で、日本の10倍なのだから致し方ないか。次点の「容姿がよい」は女性31%、男性27%。以下、「平均的」「見るべきものなし」「醜悪」と続くのだが、「並よりいい」紳士淑女はともに約3割で、先のデータと照らし合わせるとこの層が、高い収入を得ていることになる。