電通といえば、広告代理店という存在以上に、メディアに対して絶大な影響を与える組織だ。企業からのCMや広告、そしてパブリシティをマスコミに供給するパイプ役や様々なイベント、広報や企業不祥事の際のスキャンダル潰しにも関与する。最盛期に比べその勢いは衰えたとはいえ、未だにメディアにとって利益に直結する組織なのだ。また、ドラマや映画、バラエティ、CMなどのキャスティングにも深く関わり、芸能界に対する影響力も大きい。
しかし、AKBとの関係はそんなレベルではない。電通はAKBの誕生から国民的グループになった現在まで、AKBに寄り添い、運営サイドと二人三脚でバックアップするなど大きな役割を担ってきた。
2005年、秋元康プロデュースのもと、秋葉原の「AKB48劇場」で産声を上げたAKBだが、電通はそれ以前からこのプロジェクトに大きな関わりがあった。
「この時期、秋元のもとにNTTからドコモの新サービスの企画が持ち込まれたのが発端です。それ以前に携帯電話と連動した秋元のホラー映画企画が成功していて、新たに何か仕掛けられないか、というものでした」(電通関係者)
そこに食いついたのが秋元とは20年来の付き合いで、ドコモ担当の電通社員だった。電通はまず、FOMAのプロモーションとして、AKBの第二期メンバーのオーディションを全国規模で行うというプロジェクトを立ち上げる。そして、ドコモがスポンサーのラジオ番組にAKBメンバーによる電話デートコーナーを作り、AKBを露出させていったのだ。さらに電通がバックアップする形で、ドコモの音楽配信チャンネルでAKBの曲の配信もスタートした。
「そこでリリースされたのが、シングル『Baby! Baby! Baby!』でした。PVも電通子会社の電通テックが製作するなど電通仕切りでしたし、電通本体の中に『AKB担当チーム』まで発足されました」(同前)
こうして動きだした電通によるAKBプロジェクトは、08年の「大声ダイヤモンド」のヒットにより大ブレイク。その後もAKBに関連する様々なテレビ番組やCM、イベントが電通仕切りのもとで進んでいく。また、乃木坂46も電通によって作られたグループであり、現在ではすっかり「AKBは電通の配下にある」という認識が定着したのだ。
電通のAKBへの関与に関し、当事者たちが語った興味深い資料が存在する。それが「Quick Japan」(太田出版)vol.87に掲載された電通社員2人の対談だ。