そして、天皇からの金銭的援助を受けたうえで1877年(明治10年)に学習院が設立。1884年(明治17年)より宮内庁所轄の官立学校となった。しかし、敗戦後の1947年(昭和22年)に「華族」という身分は消滅、学習院も私立学校として再出発することとなる。
華族のための学校として機能していた学習院が戦後、私立学校になったということで、その在り方は大きく変化するわけだが、皇族の教育という点で重要な存在であり続けた。
「安倍(註:戦後、学習院院長になった安倍能成)は皇太子の長子浩宮徳仁親王(現・皇太子)が幼稚園に入る年齢になる一年前の昭和三十八年四月に、学習院幼稚園を開園させた。多くの皇族たちも通った学習院幼稚園(女子学習院付属。男女共学)は、戦後、廃止されたため、徳仁親王がどこの幼稚園に入るのかは注目されていたが、安倍は当然、学習院が引き受けるべきだと主張し、短時間での復活を実現させたのである」(前出『学習院』より)
将来の天皇を通わせるために、幼稚園を復活させるなど、戦後になっても相変わらず「皇族が通うための学習院」という位置づけは変わらなかったのだ。
しかし、ここ最近で一気に加速する皇族の学習院離れ。その背景には、不祥事の続出、学校自体の劣化が影響しているともいわれている。以下は、学習院の劣化を象徴する事件の数々だ。
2000年、元学習院女子中・高等科科長が失踪し、埼玉県の山中で白骨化した姿で発見された。当時の報道によると、先物取引の失敗で多額の借金を抱えた末に自殺したものとみられている。
2001年から2002年には、女子中等科で盗難事件が相次いだ。
「部活などでちょっと目を離した隙に、財布を盗まれる騒ぎが続きました。当時一年に在学中だった高円宮家の次女・典子さまもお金を抜き取られてしまいました」(学習院関係者)『週刊文春』2010年3月18日号より
2003年、早稲田大学のサークル「スーパーフリー」の集団強姦事件で学習院大学1年生が逮捕、懲役6年の判決を受ける。
2007年、初等科の男性教諭による児童に対するセクハラ行為が発覚する。
「その教諭はお気に入りの女子児童を“お姫様抱っこ”して記念撮影するなど、約8年にわたってセクハラ行為を繰り返していた」『女性セブン』2014年10月2日号より
2009年5月には、その春に高等科を卒業したばかりの女性が、数学担当の若手男性教師に強姦されたと被害届を出している。最終的に男女のもつれとして被害届は取り下げられ、慰謝料での示談となったが、その教師は依願退職とした。