『埼玉化する日本』(イースト新書)
昨年の流行語大賞の候補にもなった「マイルドヤンキー」。都会への憧れを持たずいつまでも地元に執着し、ミニバンで巨大ショッピングモールへ出向き、与えられるままに消費欲を発散、EXILEを聴いてサバイバルな精神性に惹かれるような層を指す。彼らは決して政治的な意見を表明しないし、かつてのヤンキーのように社会に対する抵抗心を持とうとしない。原田曜平が著書『ヤンキー経済』(幻冬舎新書)が示したこの言葉は、たちどころに消費されて誤読を呼んだ感もあるが、都会への羨望や上京願望がすっかり薄まった若者像を教えてくれた。
この流行り言葉に対して、「マイルドヤンキーだけで消費を語るなかれ、埼玉を見よ」と高らかに宣言するのが中沢明子『埼玉化する日本』(イースト新書)だ。埼玉県を、「気取った先鋭さなど微塵もないが、いつでも最先端の文化やモノに触れられる安心感と安定感の両方」を持つ場所とし、マイルドヤンキー=消費の主役、ショッピングモール=消費の殿堂と位置づける議論を挑発する。
ショッピングモールなんてどこでも買える代わり映えのしない商品ばかりが揃っていて、それに嬉々として飛びついちゃっている人たち……という、語られがちなショッピングモールの弊害論は単調だとする。消費行動を考える上では、消費に向かう感度の低い「川下」だけではなく、「流行や文化を創り出す『川上』を蔑ろにしていいはずがない」との指摘は端的で鋭い。ショッピングモールで何もかもの消費を終えるという単純化されたイメージは「マイルドヤンキー」という言葉を使いやすくはするものの、消費の実態からは逸れていく。
つまり、モールで全てが事足りるわけがないのだ。かつては川口、現在は浦和に住み、イオンモール浦和美園・ららぽーと新三郷・越谷レイクタウンという巨大なイオンモールを背負いながら、駅ナカの先駆けとなった大宮駅を堪能し、埼玉の飛び地としての池袋のポテンシャルに頼る……そんな埼玉ならではの立ち位置を分析する著者の実感だ。
埼玉はなにかと無個性だと言われ、東京に寄りかからんばかりの態度に「ダサイタマ」という称号をブツけられてきた。うだつが上がらないラッパー達の群像を、北関東を舞台に描いた映画『SR サイタマノラッパー』シリーズの監督・入江悠は自身も埼玉県深谷市の出身だが、埼玉県を「日本全国で唯一、修学旅行生が来ない県」とし、そのコンプレックスの理由を「風光明媚な田舎にもコンプレックスがあり、東京のような大都会にもコンプレックスがある」と自己分析している。しかし、「『近隣に自分の県よりももっと田舎がある』という事実が、サイタマノボンクラのアイデンティティを少なからず救っている」という側面もある(いずれも、角川メディアハウス『SR サイタマノラッパー 日常は終わった。それでも物語は続く』より)。
三浦展が提示した「ファスト風土」は、大手チェーンの林立で均質化していく国道沿いの風景を明らかにしたが、思えば、ネガティブに語られることの多いファスト風土を真っ先に受け入れまくったのは埼玉及び北関東だったし、巨大ショッピングモールに集うマイルドヤンキーの構図を真っ先に示したのもその地域だった。駅ナカすらモール化させたエキュートが初めて展開されたのは埼玉・大宮駅だったことを本書で知ると、もしかして埼玉って、街のあらゆる現象を先んじて引き受けてきた存在だったのかもしれないと気付く。