そもそも、昔の日本では、子育ては地域の共同体や家族全体で行われてきた。専業主婦という概念さえなく、母親が子どもにつきっきりで育てるなどというのは金持ちの道楽でしかなかった。それが一変するのは、戦後の高度経済成長期。核家族化が進み、一方で家庭の収入が増えたことで、女性は家事や育児に専念するようになるが、そこで社会に広がったのが「3歳までは母親が育てないと子どもに悪影響を与える」という三歳児神話をはじめとする、育児の母親責任論だ。多くの人はこの規範をいまも信じ、疑いようもない真実だと考えている。
しかし、このことに疑問を呈する研究は数多い。そのひとつが“ソーシャル・ネットワーク”という考え方だ。『愛着からソーシャル・ネットワークへ―発達心理学の新展開』(マイケル・ルイス/新曜社)では“乳児期の母子関係がその後の発達を決定する”という理論に反駁し、“子どもは誕生から母親、父親、きょうだい、祖父母など複数の人間関係のなかで発達する”と提唱。子どもにとっては母子関係だけが重要でとくべつなのではなく、さまざまな関係のなかのひとつにすぎないことを説いている。
さらにいえば、三歳児神話の下敷きになっている“母性は女の本能”という考え方自体、18世紀の時点で否定されているような眉唾モノの話だ。にもかかわらず、いまなお母親である女性たちは母親規範に縛られ、苦しめられている。もちろん、芸能人の子育てが炎上する理由にも、根本にはこの母親規範がある。「母親なのに愛情が足りないから、赤ちゃんを居酒屋なんかに連れて行くんだろ」「愛情が足りないから、母親のくせに自分を犠牲にできず、髪を母親らしくない下品なピンクなんかに染めるんだ」……そうした非難の声が飛び交うなかで、さらに女性たちは世間に叩かれない“母親らしさ”を内面化していくのだ。
現実には、完璧な母親などいないし、完璧な育児もない。それなのに理想の母親になることをめざしすぎて、結果ストレスを抱え込み、うつ状態になったり、虐待やネグレクトに走ってしまう女性は多い。こんな世の中にいま必要なのは、芸能人の育児の揚げ足をとることではなく、根強い母親規範を疑う目ではないのだろうか。
……だいたい、山田の“炎上子育て”だって、たまには居酒屋に行くくらいの楽しみをもたなくては息抜きだってできないし、髪の色をピンクにするのは落ち込みやすい産後にあって、ひとつの気分の盛り上げ方にもなりそうではないか。「ありえない」と育児にバツ印をつけていくより、「アリかも」を見つけ、増やしていく。そのほうが、ずっと建設的で生きやすくなると思うのだが。
(田岡 尼)
最終更新:2017.12.09 05:07