児島の告白はこんな辛辣で衝撃的な恨み節ではじまる。児島は『北の国から』などに出演した女優だったが、そこで共演した田中邦衛の紹介で高倉と出会い、交際がスタート。「1983年夏から84年春にかけての約300日間、俳優の高倉健(享年83)のマンションに通い、半同棲生活を送っていた」(「週刊現代」)という。
当時、児島は31歳、そして高倉は52歳。人目を避けながらも楽しい時間を過ごしていた二人だが、別れは突然やってきた。84年春、芸能誌に二人の関係が報道されてしまったのだ。この報道後、児島は高倉から「しばらく会えないんだよ。僕も待つから1年、待ってくれないか」といわれたという。
児島は悲しみより怒りが込み上げたという。「この人は、世間体が大事で、私を捨てた」。実際、半年経っても1年経っても高倉からの連絡はなかった。2003年、児島はヌード写真集を出すが、これも高倉への復讐のためだったという。
そして別れから30年後の高倉の死。しかし児島はもう高倉への恨みはなく、「あのころの彼の立場や苦悩がわかるようになりました。『あなたの気持ちをわかってあげられず、ごめんなさい』と謝りたいくらい」と語っている。
ただ、児島が「現代」に語った高倉像は、自分のことを「剛ちゃん」と呼んでいた、児島に膝枕してもらって「幸せだ」と涙を流した、警察無線を傍受するのが趣味だったなど、意外なものばかり。はてはこんなエピソードまで告白していた。
「私がヌードダンサーの真似をして、BGMに合わせて服の裾をヒラヒラさせながら躍ったんです。そしたら彼は、顔をほころばせ、手を叩いて、「いいねぇ!」と子供みたいに大喜び」
孤独や老いに弱り、女性に依存し、ちょっとスケベで甘えん坊だった高倉健。2つの週刊誌が浮き彫りにした意外な素顔に驚きつつも、しかし、一方でなんとなく納得できる気もする。それは、我々が心のどこかで「健さんが健さんを演じている」ことに気づいていたからなのかもしれない。
(林グンマ)
最終更新:2017.12.09 12:04