アイドル史上最強のライバル(左/松田聖子オフィシャルサイト 右/中森明菜オフィシャルサイトより)
今年のNHK紅白歌合戦で紅組の大トリを務める松田聖子。1年の締めくくりとして自身の最大セールスを記録した「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」を歌うというが、依然として「サプライズで中森明菜が登場するのでは?」と噂されている。
聖子と明菜が紅白で共演──もしもこの噂が実現したら、“25年前の因縁”がついに決着を見せる歴史的な瞬間となるだろう。ご存じの方も多いと思うが、いまから25年前の1989年、明菜は当時、交際していた近藤真彦の自宅で手首を切るという自殺未遂騒動を起こした。その原因は、結婚、沙也加の出産を経た聖子が、ニューヨークでマッチと抱き合っているところをフライデーされたことが原因だとされている。
当然、その年、明菜とマッチは紅白を落選。まるでその腹いせのように、大晦日の夜にツーショット会見を行い、明菜が元気であることとマッチに非がないことをアピールした。だが、この会見も明菜は直前までマッチとの婚約発表だと言い聞かせられていたともいわれている。マッチの名誉回復というジャニーズ事務所の策略に、明菜は乗せられてしまったわけだ。ちなみにこの年、聖子もまた紅白を同じように落選し、紅白の視聴率(第2部)は初めて50%を下回った。
現在のAKBが目にもならないほどの国民的人気を誇った聖子と明菜というトップアイドルが、紅白を巻きこむかたちで繰り広げた一大スキャンダル。その当事者がこの21世紀に紅白で共演するかもしれないというのだから、芸能マスコミが騒ぐのも無理からぬ話である。それでなくても、このふたりは日本のアイドル文化を語る上で絶対に外せない“史上最強のライバル”同士なのだから。
しかし、なぜふたりはライバルと呼ばれるようになったのか。そこには聖子と明菜の、相反する魅力が関係している。先日、文庫化されたばかりの『松田聖子と中森明菜 [増補版] 一九八〇年代の革命』(中川右介/朝日文庫)から、ふたりのアイドル時代を振り返ろう。
まず、よくこのふたりが比較されるために若い人は誤解していることも多いが、聖子と明菜は同期などではない。年齢は聖子が明菜の3歳上、デビュー年も聖子が1980年、明菜が82年と開きがあり、明菜は『スター誕生!』の予選で聖子の「裸足の季節」を歌ったこともあった(結果は落選)。聖子の絶頂期に、明菜は後を追うようにデビューしたわけだ。
本書でも、〈甘い幸福を歌わせたら、松田聖子の右に出る者はいない。そして、不幸を歌わせたら、中森明菜の右に出る者はいない〉と評されているように、ふたりは対照的なアイドルだった。これは、聖子が山口百恵の人気を打破するために“百恵アンチ”路線で売り出され、つづく明菜が“アンチ聖子=百恵路線”を踏襲したことも大いに関係している。