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慰安婦問題の“戦犯”朝日・植村記者が反論! 右派のデマ攻撃が明らかに 

 取材の経緯についても同様だ。前述したように、右派メディアは植村があたかも、妻や妻の母と結託して、意図的に慰安婦問題を仕掛けたかのように書き立てているが、事実はまったくちがっていた。

 当時、大阪社会部に所属していた植村は別段、慰安婦問題に強い関心があったわけではなく、デスクから「夏の平和企画」として慰安婦探しを命じられたことがきっかけだった。

 妻が韓国人で、妻の母・梁順任が慰安婦への補償を日本政府に求める裁判を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の会長だったというのは事実だが、彼女たちから植村記者に一切の情報提供がなかったことも同書で明らかになっている。

 というのも、金学順を聞き取り調査した挺対協と植村の義母が会長をつとめる遺族会は仲が悪く、義母は植村の記事が出る時点では金学順のことを知らなかったからだ。同書では、義母・梁順任の当時の日記が紹介されており、金学順が共同会見を開いた時、義母が彼女に対して冷ややかな感想を書き連ねていたことや、植村の記事が出て一ヶ月以上たった9月11日にはじめて金学順と会ったと記述されていたことが明かされている。

 さらに、植村が記事で従軍慰安婦を「女子挺身隊」と混同したことや、金学順が親に身売りされて「キーセン学校」に通っていたことを伏せていた問題でも、驚くべき事実が明らかにされている。

 これについては、読売新聞や産経新聞も激しい調子で朝日を糾弾していたが、実は読売新聞も金学順のことを伝えた紙面で「連行された約二十万人の女子挺身隊のうち「慰安婦」として戦地に送られたのは八万人から十万人」といった、誤用を犯していた。

 キーセン学校についても、91年12月6日に金学順が提訴した際、読売や産経も含めた全国紙5紙が夕刊でこれを伝えたが、1紙もキーセン学校には触れていないという。

 ところが、批判は朝日と植村だけに集中した。植村は同書の中でこう話している。

「僕は金さんのことを一度も『強制連行』とは書いていない。本文の中では『だまされて慰安婦に』って書いてある。それなのに、僕だけが攻撃され、他のメディアは攻撃されない。もちろん攻撃している人たちはほかを攻撃してもしようがなくて、朝日の植村を攻撃しなきゃしようがないんだろうけど」

 ようするに、植村はたまたま一番最初に慰安婦の証言を書いた、それだけなのである。記事はほとんど話題にならず、書いたのも20年前に2回きり。言葉の誤用や事実関係の掲載基準も他社とたいして変わらないレベルだった。そんな新聞記者がなぜこんな目にあわなければならないのか。

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