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ソチの雪も溶かした“熱すぎる男”松岡修造がハマっていた“自己啓発”

「圭はベスト8からどんどん行く選手。ぼくはまぐれで一回跳ねた人。全然テニスの才能が違う。ぼくは11歳で彼を見たときから、いってみれば才能の師匠。教えたことなんて一回もない!」

 競泳やフィギュアスケートといった門外漢のスポーツでもあれだけ熱いのだから、テニスとなれば爆発するのも必然。それでも錦織へのリスペクトに溢れたこの言葉には「いい人すぎる」「修造、泣かせるなよ〜」と称賛する声が集まった。

 ……と、感動エピソードのあとに下衆な話で恐縮だが、錦織選手は今年、日本人選手史上初となる獲得賞金400万ドル越えを達成したというが、一部報道では修造は「これ以上稼いでいる」とのこと。テニスではないけれど、これもタレントとして才能が開花した結果?


●熱さの原点は恐怖の自己啓発セミナー!? その“過去”にも注目が

 脚光を浴びれば、これまでの足跡にも視線が集まるのが世の常。とくに若い世代は修造の現役時代を知らないため、彼の生い立ちと選手時代を知って驚く者も続出したようだ。

 松岡修造といえば、“華麗なる一族”の一員で、筋金入りのお坊ちゃんである。曾祖父は阪急東宝グループの創業者、祖父は東宝の社長で、父は東宝名誉会長、母は宝塚歌劇団出身。さらに従祖叔父には総理府総務長官を務めた田邊圀男氏や従叔父にサントリー社長の鳥井信一郎氏がいるという。思わず目がくらむような世界だが、修造もそんな一族のなかで順当に慶應の幼稚舎から高校までエスカレートで進んだ。が、本人の強い希望でテニスの名門校である柳川高等学校に編入。さらに単身渡米し、プロに転向してからは親から一切の援助も受けず、極貧生活のなかで転戦したらしい。

 ウィンブルドンでは、愛読書であるスポ根マンガ『エースを狙え!』で有名になった往年の名選手・福田雅之助の「この一球は絶対無二の一球なり!」という台詞を叫ぶなど、いまにつながる熱さの片鱗を見せていた修造。しかし、現在のポジティブさを自分のものにしたのは、ある人物との出会いが大いに関係している。それは行徳哲男氏という人で、スポーツ界のみならず政財界芸能界でも信奉する人が数多いという自己啓発セミナーの主宰者だ。

 現役時代、姉の紹介で行徳氏のセミナーに参加したという修造は、そのときの経験を自著『セカンド・ドリーム──もうひとつのセンター・コート』(集英社)にこう綴る。

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