しかし、宮根の肩をもつわけではないが、百田のほうにもおおいに問題があった。宮根がたかじんとの思い出を語ろうとしているのに、さくら夫人のことばかり語る百田。あげくは「僕の心のなかだけに大切にしまっている」と話しているのに、「オレ全部知ってる」感をアピールしてくるというのはあまりにデリカシーがなさすぎだろう。
だが、宮根の不快感の原因は、たんに当日の百田の態度だけでないという話もある。そもそも宮根はさくら未亡人に対しても、百田の『殉愛』に対してもいい感情をもっていないというのだ。
「宮根にかぎらず、たかじんの古くからの知り合いはみんな、さくら夫人や『殉愛』に冷ややかな反応を見せています。古い知り合いから見ると、むしろさくら夫人と出会ってたかじんがおかしくなったという気持ちさえある。そのうえ、たかじんと一面識もない百田がさくらさんの指名で、本を書いた訳ですからね。実際、『殉愛』はたかじんのことを書いているわけでなく、さくらさんのための本ですよ。それを、“ここにこそ真実のたかじんの姿がある”とかいわれたら、そりゃムッともするでしょう」(在阪テレビ局関係者)
実は、11月10日の『ミヤネ屋』(日本テレビ系)でも『殉愛』を特集していたのだが、そのときもやはり宮根は終始冷ややかだった。芸能レポーターの井上公造がさくら夫人について「無償の愛」などと持ち上げるのに対し、いつもは饒舌な宮根が微妙な表情を浮かべるばかり。コーナーの最後に、「たかじんさんが最後幸せだったんだとしたら、ホッとする」とだけ述べ、さくら夫人の「無償の愛」や「懸命な介護」については一切語らなかった。
いわば、新旧勢力による「やしきたかじん」という錦の御旗取り合いというところか。最終的にどうなるかはしらないが、どっちも浪花的マッチョ臭がにおいすぎて気持ち悪いことだけはたしかである。
(田部祥太)
最終更新:2015.01.19 04:31