育児介護休業法が施行された92年、共働きの夫婦の夫・松田正樹さんは子どもの保育所の送り迎えの時間を取らせて欲しいと上司に申し出た。
「部長は『そんなに仕事が暇なのか』と言い放った。なおも談判し、賃金カットつきの一時間半の短期時間勤務を認めてもらった。だが、同僚からは『妻の尻に敷かれている』と陰口をたたかれ、保育所のお迎えに行かねばならない夕方五時から、意図的に会議を始めるいじわるまで出てきた」
男性たちからの、そして組織による家事ハラだ。こうした男性の家事に対する意識の低さには、歴史的な背景もあるという。明治政府は近代国家を形成するため男性の生産性を挙げる身体作りを掲げた。若いうちは禁欲し、立身出世をした後には「子どもを産ませる性」として性欲を解禁させる。「国家に尽くす生産性の高い男性」こそニッポン男児であり、その刷り込み過程で家事労働の軽視、蔑視が日本の基盤になっていったのだ。
だがこうした男性の“意識”だけが問題ではない。
「女性の低賃金が男性の長時間労働を誘い、長時間労働が男性の家事参加を阻んで女性の外での就労を妨げ、さらに男性の長時間労働を生む」と著者は言う。実際、妻のフルタイム労働で、経済力が高ければ高いほど、夫の家事分担率は高いらしい。
現在に至るまでの日本の労働体制、そして男性たちの意識が相互に作用し、女性に家事が押し付けられてきたのだ。しかも、こうした国家、行政そして経済界の体質は現在でもさほど変わったとは思えない。
「二〇〇七年に政労使ワーク・ライフ・バランス憲章に著名するなど、この政策を推進する旗を振りながら、政策の根本となる法定労働時間の遵守には及び腰だ。それどころか、二〇〇五年前後からは、労働時間規制政策の柱となってきた残業代の支払い対象から、一定の年収以上の勤め人を外す『ホワイトカラー・エグゼンプション』の導入の動きが始まった」
著者は1日にいくらでも働かせることができる労働時間制度こそ、家事ハラそのものだと指摘する。たしかに、この制度が敷かれれば、ますます男性の家事参加は困難になり、女性の外での就労の意欲も減っていくだろう。
今、求められているのは、家事労働を視野に入れた等身大の労務管理や社会政策のはずだが、国家の政策はむしろ、逆の方向に進んでいるようだ。
(伊勢崎馨)
最終更新:2018.10.18 03:15