ただ、アメリカ型の自己啓発・成功哲学と異なり、舩井はスピリチュアル的・オカルト的な思想を大っぴらにしていた。多数ある著作のどれもが似た内容だが、『マンガで読む 船井幸雄のスピリチュアルな世界』(グラフ社)が最も手早く舩井のスピリチュアル観を知る手がかりとなるだろう。同書は「この世は、まず悪いカルマを清算する場だと思うんだ」「波動とはたえずすべての物や人から発信されているんだ」「2010年~2020年ごろに地球規模の大変化が起こる」などの発言が頻繁に飛び交うオカルチックな啓蒙マンガであり、見えない世界=スピリチュアルを人々に知らしめようという舩井の(良くも悪くも)本気さが伝わってくる。現世利益的な成功哲学と、「真実に気付いて世界の変革を起こそう」といった思想が、なぜか舩井の中では同居しており、そこが人気を博した理由でもあるのだろう。
このように舩井思想には、いきすぎた資本主義への警告、自然回帰など“反(脱)近代”といった側面も確かにある。しかしやはり、根本的には社会的(経済的)成功、「誰よりも多く働くことこそが美徳であり自己実現」といった指向に傾いていることは否めない。「見えない世界」を訴えるスピリチュアル部分についても、結局は「その方が健康になる、仕事も上手くいく」という利益目的から抜け出せてはいないのだ。資本主義の負の部分を打破する考え方を提唱しているつもりでも、根本的にはその資本主義を追認しており、時には金儲けのために悪用される危険すらある。近年のブラック企業による自己啓発めいた思想を根拠とする労務超過、オカルト的な「成功のための情報」を売りに儲けるネットワークビジネスなど、舩井自身にそのつもりは無いだろうが、間接的には彼のスピリチュアル活動が影響を与えたとも言えるだろう。
90年代半ば、一度は下火となったかに見えたスピリチュアルの大衆化は、むしろ21世紀に入り強まったのだ。一面としては、パワースポットから「冷えとり靴下」ブームまで、ポップな装いにパッケージを変え、宗教色と政治色を(一見)排除した消費材として。もう一面では、経済的成功をエサにした自己啓発・意識改革が、ブラック企業やネットワークビジネスの興隆に加担するという意味で。
舩井の一見「スピリチュアル否定」ともとれる発言は、おそらく前者「あまりにもポップ化したスピリチュアル」に対しての違和感だろう。それまでもことさら「本物」の医療・経営・農業あるいはスピリチュアルに注目しなさいと喧伝してきた舩井である。東日本大震災や原発事故を受け、このような時代には浅い流行に惑わされるな、という危機感を表明したのかもしれない。その主張については、頷ける点も多少はある。しかし舩井が「本物」とする代替医療や波動、気孔、陰謀論にせよ、結局は彼のお眼鏡にかなったものに過ぎない。無自覚にスピリチュアルを消費する一般大衆より、かなりマニアックに調べているというだけで、根本的な命題としての違いは感じられないのだ。
『すべては必要、必然、最善』では、このような「本物」「超プロ」の舩井チルドレン達を多く紹介し、彼らが考える「これからの社会のあり方、人々の意識の変え方」を提唱している。とはいえ、どれも完全に「オカルト」の枠に入れざるをえない話ばかりである。
例えば、中矢伸一は、首都高の大橋ジャンクションから江北までワープしてしまった体験を語り、「パラレルワールドが存在することは科学的にも言われていることだし、あながち否定もできないだろう」、つまり異世界は存在し、アセンション(世界の次元上昇)もこういった形なのでは、と語る。怪談としては面白いが、それを全世界的な変革と絡めるのは飛躍し過ぎではないだろうか。