宮沢りえ写真集『Santa Fe』(朝日出版社)
宮沢りえの母で、“りえママ”と呼ばれてきた宮沢光子さんが、今月23日に亡くなっていたことが発表された。強烈なステージママとして有名だった光子さんだったが、そんな母の死に際し、「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました」とコメントしたりえ。出演中の舞台に穴を空けることもなく気丈に振る舞う姿には「大女優の貫禄」との声も挙がっている。
そもそも、女優・宮沢りえの軌跡は“りえママ”抜きには語れない。11歳でデビューする以前は、母自ら六本木に娘を連れ出しては業界関係者に売り込み、デビュー後も16歳のりえに“ふんどしルック”のカレンダーをプロデュース。さらに人気絶頂だった18歳のときにヘアヌード写真集を出版するなど、世間の度肝を抜いてきた。
そんな“話題づくり”に長けたりえママだったが、そのプロデュースは恋愛にまで及んだ。19歳のりえが貴乃花(当時、貴花田)と婚約を発表したのも「りえママ戦略の一環」といわれているが、婚約破棄後のスキャンダルにも、りえママの影がつきまとっていた。その最たる例が、ビートたけしとの“不倫”疑惑だ。
当時、りえはCMや映画でたけしと共演し、1992年に発表したシングル「心から好き」の作詞をたけしが務めたほど。年齢も離れた、意外な組み合わせだっただけに、これもりえママが仕掛けた、たんなる話題性を狙った作戦のように世間は見ていた。だが、光子さんは本気だった。というのも、りえママは自身のエッセイで、2人になんと“早くセックスしろ”と急かしていたのだ。
その驚くべき提言は、93年に光子さんが雑誌「DENIM」(小学館、廃刊)に連載していたエッセイで行われた。まず、光子さんは、〈もう誰もが知っていることだけど、りえの現在の恋人はたけし氏だ。一応、彼女は相当にお熱で、たけし氏もりえのことが好きみたいで、だからつきあっている〉と宣言。ちなみに、当時すでにたけしは既婚者であり、子ももうけている身であることは誰もが知っていた。「つきあっている」と書くことは、2人は不倫関係にあると母親が公言しているということになる。
これだけでも充分インパクトは大きいが、りえママはさらに〈けれども私から見れば、2人はまるでオママゴトみたいな恋愛ごっこで歯がゆいばかり〉とつづけ、2人の“不倫”にダメ出しをする。
〈聞けば、たけし氏とりえはキスさえもまだみたいなのだ。男と女が好き合って、それがキスやセックスというカタチで求め合うのであれば、それは当然の行為で自然の営みだと私は思う。逆に、そうしないほうが異常なんじゃないのかしら〉
そして、〈何もないというのは不自然〉と言い切り、最後には〈2人でさっさとすませてしまえばいいのにと思っている〉というのだ。
不倫を公認し、20歳になったばかりの娘にさっさとセックスすべきと諭す母……一部では、たけしが宿泊していたホテルの部屋にりえが「ママに言われてきた」とやってきて、ビビったたけしがそれを追い返したという噂や、実際に不倫関係になったという噂も語られてきたが、この光子さんのエッセイを読むと、あながち嘘とは思えない話である。