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実刑判決「黒子のバスケ」事件の被告が告白していた意外な過去とは 

 というのも、渡邊被告は長く両親から“虐待”を受けてきた過去がある。この最終意見陳述でも、自分の父親を〈子供の頃からずっと食うや食わずの生活を送って大人になり〉〈子供に最低限の衣食住を与えることと勉強を強制することと子供から遊びを取り上げること以外の子供への接し方を全く知りませんでした〉といい、母親のことも〈母親が子供を育てた理由は(ネグレクトをした)祖父母への復讐〉と語る。

 さらに、〈感情や規範〉を両親(あるいはそれに相当する養育者)から与えられないと人や社会と適切につながっていけないこと、虐待を受けると“物の見方や感じ方が異常にネガティブになってしまう自覚もなく、その原因にも気がつかない”状態になること、そして〈生きる喜びや楽しみを感じられない人生〉となってしまうと解釈を述べ、自らを〈生きる屍〉と表現したのだ。

〈人間が努力の先に報いの存在を信じるためには、肯定的な自己物語が必要〉。──そう語る渡邊被告は、当初報道された「マンガ家を目指して挫折した負け組」という動機を否定するかのように、このようにも述べている。

〈自分は「黒子のバスケ」の作者氏の成功が羨ましかったのではないのです。この世の大多数を占める「夢を持って努力ができた普通の人たち」が羨ましかったのです。自分は「夢を持って努力ができた普通の人たち」の代表として「黒子のバスケ」の作者氏を標的にしたのです〉

 裁判資料ではじめて藤巻氏の“経歴”を詳しく知ったという渡邊被告。それを読み、〈自分は標的を間違えなかった〉と思ったという。

〈自分には部活に入ったり、中学の同級生から感化を受けてマンガを描き始めたり、ちゃんとした浪人生活を送ったり、大学でも部活に入ったり、やりたいことのために大学をさらりと退学して親元から自立してチャレンジしたりするという人生はありえないものだからです〉

〈自分は負け組ですらない〉という、渡邊被告の絶望。この犯行動機を個人的な心の歪みだと片づけることは簡単だが、児童虐待の件数が増え続けているこの日本で、彼と同じような痛みと心の絶望を抱え持った人は想像をはるかに超えて多いのではないか。

 前出の香山は、「彼は格差社会の犠牲者なのではなくて、親による子ども虐待の犠牲者」と述べているが、「無敵の人」という“便利なキーワード”を外してこの事件を見ることが、いまは重要なのではないだろうか。
(水井多賀子)

最終更新:2014.08.25 11:54

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