このように当時の雑誌はどう考えても不可能なことを堂々と謳うのだから、事実を婉曲することなんて日常茶飯事。なかでも凄まじいのが、受験雑誌『学生』昭和18年11月号の「英語学習上の心得」という記事だ。
「英語は日本語である。わが大日本帝国の勢力圏内に於て通用する英語は、明かに日本語の一方言なのである」
そうだったのか!と当時の読者が思ったかどうかはわからないが、物は言いようである。この記事は、「英語は本(もと)より、仏・独・伊・蘭・華・蘇・西・葡・泰・緬・印等々の諸国語は、悉(ことごと)くこれ日本語の方言」とまで言い切っている。
こんなトンデモ言説がいたって真面目に掲載されてしまうほど雑誌界は戦争プロモの虜になっていたことがわかるが、もっと恐ろしいのは、書籍として刊行された『標準支那語早学』(浩文社)なる本だ。
これは中国侵略に向かう軍人向けに発行された、いまでいう「会話フレーズ集」のようなもので、当時、似たような本が多数出版されていたらしい。が、当然のことながらその例文は「日本軍は世界中で一番強い」「オイ止まれ」「お前は何と言う名だ?」と、いかにも帝国主義的な言い回しばかり。なかには「お前は人夫に変装して軍状を偵察に来たのだらう」という具体的すぎるものもあるのだが、思わず背筋が凍るのは、こんなフレーズだ。
「本統(ママ)のことを言はないと命を取るぞ」
「早く白状しろ」「でないと銃殺するぞ!」
当時の中国では、このようなおぞましくむごい言葉を、フツーのお父さんや青年たちが本を片手に喋らなくてはいけなかったのかと思うと、やりきれない気持ちになるではないか。
この異様なムードのなかでは、娯楽のごの字もあるわけがない。いまではみんながほっこりブレイクタイムに嗜むお菓子でさえ、戦時下では苦いイデオロギー味に。たとえば、菓子業界の専門誌『製菓実験』(製菓実験社)昭和12年9月号には「愛国心を以て時代に善処せよ」「非愛国的支那流悪徳分子撲滅の道徳戦であらねばならぬ」と、まったくお菓子と関係がない言葉がズラリ。肝心のお菓子の紹介でさえ、キャッチコピーは「愛国心を打込んで勇士のよろこぶ菓子を作りませう」である。