さらに、ボカロPの調教によって特徴が出るミクとは違い、GUMIの場合は調整する人による特色が出づらい。そのため、聴く人は調教技術よりもメロディーや歌詞自体に目を向けるので、“歌”を聞かせたい作り手たちに受けたのだろう。そのうえ、当初批判されていたイメージの希薄さも、逆にGUMIの魅力になっていった。ミクのように、ツインテールでミニスカ、サイハイブーツなど、オタク受けするようなインパクトのある見た目ではなかったGUMI。ミクと同じキラキラしたアイドル的存在でもなく、作り手や聴く人によって変化する、もっと身近で素朴な等身大の女の子キャラなのだ。
そんなGUMIの曲は、それまでのミクのために作ったミクの曲ではなく、GUMIを通して等身大の女の子のことを歌わせたJ-POPのようなものだったからこそ、多くの人の共感を得ることができたのだろう。実際、DECO*27の「弱虫モンブラン」やkoyori(電ポルP)の「恋空予報」、TOKOTOKO(西沢さんP)の「君の好きな本」、Last Note.の「オサナナブルー」、HoneyWorksの「告白予行練習」を中心とした恋愛シリーズなど、GUMIの曲には特別ではない、どこにでもいるようなごく普通の女の子視点で書かれた恋愛ソングがたくさんある。恋愛ソング以外でも、少女の憂鬱な心を描いたすこっぷの「妄想メランコリー」や、夢の中でなら輝けるのにと思う少女の心情を歌ったLast Note.の「セツナトリップ」など、思春期の揺れ動く心を表現した作品が並んでいる。そんなところが、今の女子中高生にうけたのだろう。
事件後の取り調べでは「人を殺してみたかった」「遺体をバラバラにしてみたかった」と語る加害者少女。自宅の冷蔵庫から猫の頭部と思われるものが発見されたり、父親を金属バットで殴り、寝ている母親を殺そうとしたこともあったと告白するなど、彼女の猟奇性や異常性ばかりが取りざたされているが、それとGUMIを好きだという少女の姿はかけ離れており、なんだか違和感が残る。
たしかにGUMIは機械だが、人の感情をのせるのにはもっとも適したボカロとも言われている。もしかすると加害者少女も、実際は恋愛に憧れたり、友だちとの距離を上手く測れないことに悩んだりする、どこにでもいそうな普通の女の子だったのかもしれない。だからと言って彼女が犯した罪は決して許されるものではないが、その動機にも別の何かがあるのではないか──そんなふうに感じるのは筆者だけだろうか。
(田口いなす)
最終更新:2018.10.18 04:13