当時は、原宿のタレントショップマップを片手に、いくつものお店を回るのがトレンディーだったといわれていた時代。ほとんどのグッズに、タレントをデフォルメしたキャラクターが大きくあしらわれており、今振り返るとお世辞にもオシャレとはいえないものばかり。商品を見ただけでは篠田麻里子がデザインしていることなどまったくわからない「ricori」とは、真逆のアプローチであり、むしろタレントグッズを持っているということを、思い切りアピールするのがステータスだった時代なのだ。
『ファンシーメイト』では、タレントショップを持っていた芸能人の代表として酒井法子のインタビューが掲載されている(聞き手は吉田豪氏)。最盛期には、原宿、恵比寿、名古屋、京都のほか、富士山の8合目にも「NORI・P・HOUSE」を開いていたという酒井。売られていたグッズには、酒井をデフォルメしたキャラではなく「のリピーちゃん」というオリジナルキャラが描かれている。
この「のりピーちゃん」は、もともと中学のときに「自分のマークみたいな感じ」で描いていたキャラクターなのだという。そして、アイドルとして売り出すにあたり、「みんなに覚えてもらえるように仕掛けていかないと」ということで、正統派アイドルでなく、語尾に「ピー」をつけまくる「のりピー語」を使う、不思議なキャラを設定。その一環として、サインを考えたときも「酒井法子じゃ売れないから絵も描いて、これでキャラクターグッズもつくってみようよ」ということで、「のりピーちゃん」を描くようになり、そこからなんとなくグッズ展開につながっていったという。
ちなみに「のりピーちゃん」というキャラクターは酒井が考案したものだが、グッズ製作に積極的に関わっていたわけではないようだ。「キャラクターグッズの老舗さんが、ありとあらゆるものを次から次へつくってくださって。私の知らないところでもいろんなものがあって」とも発言しており、どうやら酒井もまた篠田のような“雇われプロデューサー”の立場だったわけだ。
そして、なんといっても気になるのが、“日本一標高が高いタレントショップ”となった『NORI・P・HOUSE』富士山8合目店だ。酒井曰く、「スタッフさんがおもしろいんですよね。話題を仕掛けるというか。『日本一』って言っても、場所だけじゃん!って(笑)」とのことで、もしかしたらスタッフの悪ノリで開店したのかもしれない。とはいうものの、ショップのスタッフにしてみれば、富士山での営業は過酷きわまりないわけで、「お店のスタッフさんとかは、高山病でゲロゲロになりながら……」と、ブラック企業さながらの状況だったようだ。
そんな酒井だが、年齢を重ねるとともに、「ピーピー」言うことに抵抗感を抱き始めたという。19歳くらいになって、同年代の工藤静香らが大人っぽくシフトしていく一方で、『のりピー音頭』を歌っていた酒井。「なんであたしだけ『のりピー音頭』なの?」「なんでピーピー言わなきゃいけないの?」と思いながら、テレビで歌っていたというのだから、アイドル稼業も楽ではない。
酒井法子というと、やはり2009年に覚せい剤取締法違反で有罪判決を受けたことは避けて通れない。その後、紆余曲折あって、現在芸能活動を再開しているが、今でも「のりピー語」を求められることは少なくない。記者会見などでも「マンモスうれピー」と言えばまとまることも多いとのことで、『ファンシーメイト』のインタビューでは子供に「いいよな、ママはピーピー言ってご飯が食べられるんだから」と言われることもあると、告白している。いわば、覚せい剤というマイナスイメージも、のりピー語のおかげでどうにか中和できているというような状況でもあり、のりピー語に救われている部分は少なくないようだ。