たとえば、ヒロイン布美子が恋する大学助教授・片瀬信太郎と軽井沢の別荘の、片瀬夫妻の寝室で初めて結ばれるシーン。
<耳元で、自分自身の喘ぎ声が聞こえた。自分がされていることを別のもう一人の自分が闇の中から覗き見ているような感じがした。>
<「二階へ行こう」信太郎が弾む吐息の中で言った。
私は彼に肩を抱かれながら、室内に入り、よろけるようにして階段を上がった。どこに連れて行かれるのか、すぐにわかった。わかっていても、どうしようもなかった。夫婦の寝室。夫妻のベッド。私はそこに寝たいと思っていた。そこで信太郎と、そうなることを心のどこかで望んでいたのだ。
部屋の窓は開いていた。夜風がレースのカーテンを揺らしていた。シーツには雛子の香りがしみついていた。
私は取り乱しながらも信太郎を受け入れ、喘ぎ声をあげ、あげくに自分でもどうしようもなくなって、烈しくすすり泣いた。>
好きな男の誘いに抗えず、妻のいぬ間にベッドで情事に耽る間男ならぬ、間女の高ぶりがひしひしと官能的に伝わる描写ではないだろうか。
だが、布美子の情事はこれにとどまらない。信太郎の妻・雛子とのこんな場面もある。
<雛子が私の手をとって、やおら自分の乳房にあてがった。着ていたTシャツの下には何もつけておらず、私の掌には、彼女の豊かな乳房の湿った感触が拡がった。>
<気がつくと、私は彼女の乳房をおずおずと愛撫し始めていた。自分が他人の乳房を愛撫しているというのに、まるで自分の乳房を自分で愛撫しているかのような、いくらか罪の意識を伴った快感が走った。>
<私は彼女のTシャツを大きくたくし上げ、彼女の乳首を口の中にふくみ、舌の上で柔らかく転がし始めた。>
夫とも妻とも、なされるがまま関係を結んでしまうのだ。しかも、この行為は夫・信太郎の目の前で繰り広げられており、行為にはまだ続きがある。
<信太郎が私と雛子に近づいて来て、私たちの身体を両腕の中にくるみこんだ。思いがけず強い力でそうされたため、私と雛子はあたかもシャム双生児のように、向かい合わせになったまま、胸と胸を押しつけ合う形になった。>
<三人の体臭が一つになった。幸福な一瞬だった。この堕落しきった幸福な一瞬が、永遠に続けばいい、と私は願った。>
そう、夫妻と3Pまがいの行為にまで至るのである。
<来るところまで来てしまった、と思った。(中略)だが、嫌悪感はなかった。私の彼らに対する愛情は、つゆほども揺るがなかった。拒絶するのか、それともこのまま三人でベッドに入るのか……二つのうち一つを選ぶのは、神にしかできないことのように思えた。そして私は簡単に神になれた。>
妻帯者とはじめての情事、その妻との倒錯した行為、そして“三人でベッドへ”とはじめて誘われたときも。一貫して布美子は、罪の意識を感じながらも抗わず求められるがまま、いとも簡単に快楽へ身を委ねてしまう。あまつさえ、罪の意識そのものに快楽を感じながら。
いかがだろう。この本を熟読し、オススメ本として「M女のマインドが楽しめる(笑)」と軽やかにコメントする石原さとみ。彼女のM女宣言は、“従順な尽くす女アピール”代わりにM女を自称する女性タレントとは、一線を画すものといえるだろう。このガチのM女マインドこそが、石原の“清潔だけどエロ”にますます磨きをかけている秘訣なのかもしれない。
(岡崎留美子)
最終更新:2014.12.10 04:17