また河合氏は、リトル・オーバートンの自然も、アンナの救いだったと解説。アンナが最初に川辺に行った時、鳥の鳴き声に心を奪われる。アンナには「ピティー(かわいそう)ミー!」と聞こえたという鳴き声は、「一瞬にしてアンナのたましいに達した」のだという。状況だけを見れば偶然の産物のように思えるが、河合氏は「人間が人間を治せないとき、自然が治してくれる」と自然の治癒力の高さを確信している。
その後アンナは、「しめっ地屋敷」と呼ばれる屋敷に心を奪われ、屋敷に住む女の子マーニーと夜な夜な会うようになる。そこで2人は自分の置かれた環境を嘆きながら、互いに「あなたは、めぐまれているわ。わたし、あなただとよかった」と言い合う。河合氏は「このような反転現象は心理学的に注目すべきことである。このことは、アンナがマーニーという存在を相当自分のなかに取り込んだことを意味している」と指摘。そしてアンナは、ある騒動を通じてマーニーに対する“怒り”と“許し”を経験しながら、自我を取り戻していく。この騒動にかんしても、河合氏は「たましいの次元に至る深い癒しの仕事が行われるとき、その人は、精神病や自殺や事故死などの危険極まりない世界の近くをさまよわなければならぬことを意味している。そのときに、ペグ夫妻のような人や、それを取りまく自然などの守りがあってこそ、仕事は成就されるのである」と必然であったと話す。
映画では、物語の舞台を北海道に移し、アンナは日本人・杏奈として、子どもたちに親しみやすい設定になっている。監督の米林宏昌監督は公開にあたり「この映画を観に来てくれる『杏奈』や『マーニー』の横に座り、そっと寄りそうような映画を、僕は作りたいと思っています」というコメントした。この普遍的な物語は、複雑化する現代社会に疲れ、意欲を失った子どもたちの心を癒し、希望を与えてくれるだろう。
(江崎理生)
最終更新:2018.10.18 04:56