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中曽根首相「1億円合同葬」強行、しかも教育現場に弔意強要 菅政権は「前例踏襲」と説明するが、明らかに特別扱いが…

「国民には自助だ共助だと自己責任押し付けて中曽根の葬式には公助か」の声

 今回の合同葬に強い非難が集まっている理由はもうひとつある。それは、故人と葬儀主催者が両方とも新自由主義の権化であるということとの矛盾だ。

 周知のように、中曽根元首相は、日本に弱肉強食の新自由主義政策をもちこんだ総理大臣で、在任中は国鉄や電電公社などさまざまな公共インフラを民営化した。それなのに、その張本人の葬儀だけは国営でやるのか、という批判が数多くあがっているのだ。たとえば、以下のようなツイートが1万以上リツイートされた。

〈新自由主義の女王サッチャーが亡くなった時、論敵だったケン・ローチは言った。「彼女の葬儀は民営化しよう。競争入札にして一番安い入札者に決めよう。彼女もそれを望んだだろう」 国鉄、電電公社、専売公社を民営化した中曽根氏の葬儀も、民営化と競争入札が相応しい。〉

 この矛盾は、合同葬を主催し、9600万円の税金の拠出を決めた菅内閣も同様だ。菅首相はまさに中曽根元首相や小泉純一郎元首相の流れをくむゴリゴリの新自由主義者で、総裁選でも「自助、共助、公助」と、国民に自己責任をうながすようなスローガンを掲げた。そして、就任後は、「規制改革」を連呼し、「既得権益の見直し」を繰り返し主張している。

 ところが、その一方で中曽根元首相という権力者の葬儀だけはコロナ禍の状況でも巨額の税金をつぎ込んで実施するというのだ。これはどう考えてもおかしいだろう。

 実際、今回の批判で、もっとも目立っていたのは、菅首相の掲げる「自助」を皮肉ったものだった。

〈これこそ『自助』でやって。〉
〈中曽根元首相の葬儀を「公助」する必要があるのか〉
〈これも「自助」でやればいいんじゃない? 税金から9千万て。〉
〈中曽根の葬式なんか自助か絆か分割民営化でやれや〉
〈中曽根さんは今の自己責任型社会の基礎を作った人。独裁国家みたいな大仰なやり方でなく、質素に自助でやれないのか。〉
〈国民には自助だ共助だと自己責任押し付けて中曽根の葬式には公助か。コロナ対策のはずの予備費使って大規模な葬式やるなんて、コロナで亡くなった人とは葬儀どころか骨になるまで会えないという遺族の苦しい現実なんて何とも思ってない証拠だよな。〉

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