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「あいちトリエンナーレ」“慰安婦像展示”への攻撃・圧力は、表現の自由の侵害であり、作品の本質を歪曲するフェイクだ

雄叫びをあげている政治家連中は戦前の検閲行為を復活させようとする極右

 美術作品に対して「撤去しろ」「万死に値する」とがなり立てるネトウヨ&極右文化人だけでなく、時の権力が一斉に出てきて締め上げにかかる。いったいこいつらは、日本国憲法第21条が「表現の自由」を保障しているということをわかっているのか。

 政治家や行政の長が芸術作品に対して、撤去を求めたり、補助金の拠出停止をチラつかせたりするというのは、まさに、権力による弾圧から個人の表現を守るために作られた憲法21条に違反する“検閲行為”そのものではないか。

 ナチスドイツや戦中日本では、報道だけでなく、芸術作品までが検閲の対象となり、逆に戦争賛美や戦意高揚に利用されてきた。だからこそ、時の権力に左右されないために「表現の自由」が保障されたのである。

 和田議員は「これが表現の自由だと言う人がいれば、じゃあ、エリザベス女王のお写真がそういうことになる展示があったときに、イギリス国民はどう思うのか」などとほざいていたが、英国ではSex Pistolsが女王と国を痛烈に揶揄する「God Save the Queen」を歌ったことがあるし、他の国でも、国家や体制を揶揄する芸術表現は山ほどある。むしろ、王室や権力を批判したり揶揄する芸術文化を認め、保護することこそが、健全な民主主義国家の最低条件といっていい。

 まったくその無教養ぶりと時代錯誤には呆れるが、安倍政権の幹部らも大差ない。ようするに、安倍政権やその周りにいる政治家連中は、国家があらゆる表現を検閲し規制する戦前のような体制に戻したいだけなのである。

 しかも、そのために連中がまたぞろ持ち出してきているのが、「国から補助金をもらっているのだから、こんな作品の展示は許されない」という論理だ。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督がインタビューで映画に国策を押しつける動きを批判した際にも、『万引き家族』が文化庁の助成金を受けていたとして、地方政治家やネトウヨ文化人、ネオリベ経営者などから一斉に攻撃を受けたし、在日コリアンの家族を描いた『焼肉ドラゴン』(鄭義信監督)にも同様の誹謗中傷がくわえられた。

 しかし、表現の自由は国から補助金をもらっているかどうかとはまったく関係なく保障されるべきものだ。むしろ、作品の政治的なスタンスによって補助金支出の可否を判断することこそ、検閲そのものだ。「国から金をもらっているのだから国の言うことを聞かねばならない」という論理がまかり通れば、表現文化が死滅するのはもちろん、一般の市民生活にも多大な抑圧をもたらす。最終的には「生活保護を受けているんだから政府批判するな」という論理にまで発展するのは目に見えている。

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